理想と幻想
子供の春休みに合わせて実家に帰る折、出がけに思い立って『サヨナライツカ』をトートバッグに放り込んだ。
20数年前、同じように帰省の折、駅の書店で平積みになったその赤い表紙に惹かれて買い、何度か読み返して来た本。
豊の優柔不断さが、嫌いだった。
沓子のその後の人生を頼りないものにするほど、魅力のある男性だとは思えなかった。
結局は自分の面子を守り、世間体を気にするだけで、どう書いたら良いか分からないからと沓子からの手紙に返事も返さず、沓子の死に際にようやくタイヘ飛ぶ。
すべて、遅すぎる。
それでも最後、豊に「愛している」と言わせたことで沓子の人生に意味がついた、という終わりだけれど、20代の頃に心を揺さぶられたこの物語を今になって読み返してみて、“男性の理想と幻想の投影だな“と思った。
30年、沓子が豊を想い続けたということも、自分が捨てた沓子に勝手に自責の念を持ち続ける豊も。
『緑の街』のストーリーと、歌詞を思い出した。
傷つけてしまった、忘れられないひと。
そのひとの為に、何かできないかと思う草介。
「思い上がらないで!私はそんなに弱くなんかないんだよ!」と突っぱねる信子。
草介の想いは勝手なエゴでしかないし、自責の念を昇華するためとしか受け取れない。
もちろん、時を経て分かり合えること、時を経たからこそ伝えられる本音もあると思う。
でも、もうそこに“あの頃と同じ想い“は無いはず。
だから、信子の最後の台詞「一番観てほしいひとは、一番近くで観ていてくれました」もまた、男性の理想であり幻想だと思う。
一方で、信子はきちんと“今“を見ていて、過去には生きていないとも言える。
最後のシーン、草介の楽屋に、今の2人の写真ではなく、“あの頃“の二人の写真が飾られていることも、今だに彼が過去を引き摺っていることのメタファーだから。
『サヨナライツカ』も『緑の街』も、男性の“置いてきた愛“に対する感傷と、理想と幻想が根底にあると思ってしまう私は、大人になりすぎて少し捻くれてしまったのだろうか。
彼岸の中日辺り、夢に亡くなった叔父(母の弟)が出て来た。
何を話したかは忘れてしまったけれど、叔父が出て来たのは初めてだったので、帰省した日に母に話した。
叔父の命日は3月だったのは覚えていたのだが、中日の前日だったことは母から聞くまですっかり忘れていた。
そういえば、間もなく桜が咲く頃だった。
葬儀の時に叔母が、「少し前にね、桜色のスカートを買ってくれたの。これを着て一緒に桜を観ようねって」と話してくれたことが、10数年経った今でも忘れられない。
叔父は大病をしていたので、もちろん数年先の未来は見えない状況ではあったけれど、こんなに早く逝くとは思ってもみなかったし、きっと本人ももう少し長くこちらに居て、その年の桜も観られると思っていたに違いない。
昨日、同僚と三菱一号美術館に行き、暖かな中庭でワインを飲みながら話をした。
昔からつかず離れずという微妙な関係性の相手との話、彼女が「何度か“今じゃない“って話になったけど、タイミングって待つものじゃないよね」と言った。
確かに“今じゃない“はとても都合の良い言葉だ。
未来を見据えているように聞こえるけれど、その先に未来などこれっぽっちも見えてこない。
その“いつか“はいつ来るんだろう?
ある意味、無責任だし、冷たい言い方をすれば、優先順位が低いのだと思う。
“どうしても“手に入れたいのであれば、行動しなければならない。
それでも彼女が待っていると相手が思うなら、それは単なる驕りだ。
人生も折り返しを過ぎて思うのは、もう簡単に“来年“とか“次の機会に“と先送りが出来ないということだ。
恋愛とは違うけれど、と前置きした上で、昨秋に色々と迷った挙句、瑠璃光院の紅葉を観に行かなかったことを少し後悔している、ということを話すと、察しの良い彼女は私の言わんとすることを捉えて、大きく頷いた。
「そうよね、とうに先のことなんて自分にも周りにも約束出来ない歳になってる。今のこの時間を大事にしないとね」
やっぱり今年の秋こそ、紅葉を観に行こうと思った。
それだって、叶うか分からないことだけれど。
今年の桜が今しか観られないように、今の想いが来年も同じとは限らない。
“いつか“なんて不確かなものは、信じられない歳になった。
機会も、時間も、自分の手でやり繰りして作り出すもの。
それをしないなら、“重要ではない“ということ。
伝えたいことは、すぐ伝えて、やりたいことは、思い立った時に。
心にいつも、正直に生きたい。
それも、理想であり、幻想でしかないのかもしれないけれど。