呪詛

親の思い出を語ろうとすると呪詛しか吐けない身体になってしまった。
そうして親の話をすると、何も知らない外野(主に義母)が、親は子供を愛しているのだからそんなことを言うなと諭してくる。

親は私が3歳ごろにシングルになった。
本人曰く、私の父親(以後、種親と呼ぶ)に殺されかけたので遠くへ逃げたらしい。
そうして私は妹が生まれてくるまで10年間母子家庭で育った。
その10年間、いつだって親は私が自分の思い通りにならないと殴り蹴り髪の毛を掴み唾を飛ばしながら怒鳴っていた。

これはたったの一掬い。
小学校に上がる頃、言うことを聞かないからと下着姿のまま外に出され、勝手に動かないようにコンクリートの付いている物干しに犬のリードで足と手を縛り付けて放置された。
よくお世話になっていた向かいのおばあちゃんが気付き助けてくれようとしたが、勝手に解いたらまた怒られるからこのまま頑張るよと言ったらおばあちゃんが泣いたのを覚えている。
そのおばあちゃんは私が高校生の頃に亡くなっている。
おばあちゃんへ、あの頃私を気にかけて良くしてくれた思い出があるから、まだ、大丈夫です。

きっと私は親にとって都合の良いときに可愛がれる愛玩動物だったに過ぎない。愛玩であるから愛はあるだろう。だが、それは本当に「ひとりの意思ある人間」に対するものなのだろうか。

私自身も子育てをして、ふと、あの頃の自分が蘇ってきて悲しくなる。何故あの人はあんなに苛烈だったのか。
私にとって子供はかけがえのない存在だと認識するとともに、母親にとって私はそうではなかったのかもしれないと思ってしまう。

お前のせいでと、何度も、何度も、顔が腫れるまで、泣いて詫びても許されず声が枯れるまで、髪を掴まれて叩かれるのは辛かった。
これでも私は死ななかったので、世の中の被虐待児たちからしたらマシだと思う。でも、まともではないのは明らかだ。
大人になり親よりも背も体格も力も優った今でさえ、親と対峙すると足がすくむ。
子供と接しているときに親と同じように子供に辛い思いをさせているかもしれないと毎日不安になる。

母親も再婚し妹が生まれた。再婚相手は比較的にまともで、私にまで金銭的援助もしてくれる人だった。
再婚相手のおかげで、母の苛烈さは少し治ったが、今までしてきたこと、私に植え付けたトラウマは消えない。

そんな気持ちを抱えて「親が嫌い」と言えば外野は背景も考えずに、否定し、存在、言葉を、軽んじる。
その言葉を言わせるほどの何かがあったと、大きなお顔でさぞ立派な脳味噌もお持ちだろうので、是非想像力を働かせてほしいと思った。

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