真の心で生きる インドの哲学
理屈言わない。
これだけで、どれほど人生が救われるか。
理屈を言う奴は、自分が利口だと思って生きている。
そして、自分の頭で解決できないことはない、と思っている。
もちろんなんでも自信を持つことはいいことだ。
だからといって、理屈で何もかもうまくまとまると勘違いしていたら、人生行き詰まることが起きる。
理屈の上ではこうすりゃうまく行くはずなのに、なんでこうすんなり行かないかねぇ、、と思い悩んだことはないかい?
それこそ、理屈が万能でない証拠だ。
あれがこうでこうなったから、と筋道立てて考えてみても、その考えてるのは自分1人の頭だから、この広い世界複雑微妙な世界が、そんなものでうまくいくほど単純じゃない。
じゃあ、どうすりゃいいか。
それはもう、だんぜん理屈を言わない、理屈で考えないことだ。
よく考えてみな。
どんな事態に逢おうときも、心の奥底では瞬時にどうすればいいか本当はわかっているはずだ。
人として、どう対処すればいいのか、ピンと閃いているはずだ。
それを気に入らないとか、プライドがどうとか、世間体が、面倒だとか、お金がかかるとか、見込みが薄いとか、
とにかく理屈つけて、その閃きに文句たれるから、すんなり解決するものが不必要にこんがらがっちまうんだ。
いいかい。
何事に対しても、また何人に対しても、
自分がどういう行動をとればいいか?なんてことは、正直によく考えてみれば心の奥底ではきちんとわかっているはずだ。
それをそのまま、何も難しいことを考えずにやっちまえばいいんだ。
本心、良心で閃いたことをだよ。
自分勝手な欲望でもって考えたことじゃないよ。
開き直りでも、やけくそでもない。
ちゃんと、心に照らしてなんの後ろめたさも感じない、自分で自分が尊く感じるような立派な閃きが、誰にも心に出てくるはずだ。
その、出てきた立派な心のままに生きればいいんだ。
それで、やってみてすぐうまく行かないから投げ出しちまったらダメだよ。
腐らず、拗ねず、斜に構えず、
ただ純真に、尊い心のまま生き続ければいいんだ。
そうすれば、一月二月、あるいは一年も立てば、身の回りの状況もあるいは人生も大きな変化を感じるでしょうよ。
いや、なにも変わらなくたって、そんな変わらないなんてことはありえないんだが、
万一変わらないなんてことがあっても、
尊く生きているだけで、心は朗らかで健やかに生きれるぜ。
それだけでどれだけ幸せか、一度味わったらもう理屈で生きようなんて思い違いしなくなるよ。
やってみな。
いいかい。
理屈を並べず、子供みたいに純真無心で生きるんだよ。
理屈言って解決するなら、この世に悩みなんかあるはずないんだから。
みんな大人になって理屈いいだすから、争いや煩悶が増えるんだ。
幼稚園児は、誰とでも仲良く遊ぶでしょう?
喧嘩しても、1分すりゃ忘れて仲良くなってる。
あれですよ。
それでは今日はこのくらいにしておきます。
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