吊ってみて、見えたこと 【この世は、たぶん、生きがしづらい。 その1 】

僕にとって、心地よいものといえば、夏用ブランケットで首を吊ることだった。

「あいつ、間違ってこう書いてるぜ」と陰で笑われながら、僕は、僕が思う正解を僕なりに書いている。答え合わせをするため、担任の先生が黒板に書き出した答えは、僕にとっての正解ではなかった。

そんな事は、日常茶飯事で、男子よりも女子とは、よくしゃべるし、なんなら当時の少女漫画雑誌をなぜか女子より言えた。みんなが右を向くなら、僕は真下の蟻を眺めに座り込むし、周りよりも先に裸婦のデッサンにも手を出していた。

" みんな違ってみんないい "とは、大人は言うけれど、イジメなんてものは、みんなと違えば、そこが震源地となって被害が、起こるものでして... ...


幸いにも、水泳教室に通っていたから、体は丈夫だった。いじめっ子が手を出そうものなら、5人中2人は、金的からのエルボー・ドロップをお見舞いしてやった。

僕の憧れは、プロレスラーではなく、格闘技ゲーム "ストリートファイター" の大ボス・ベガだ。ベガの大技 "サイコ・クラッシャー" は、できないからプロレス技 "エルボー・ドロップ"を代わりに使いこなして、小さな社会に一矢報い続けた。プロレスなんて、言葉は知らない。そもそも見た事がない。僕は、思いつきでプロレス技を踏襲するくらいアドリブ強く、喧嘩も強かった。

擦り傷すら、つけられたことはない。ないけれど、こころはずっとボロボロだった。ずっとひとりで陰湿で鋭利な言葉に耐えていたから。

たとえ、どんなに強くても、メンタルをやられれば、授業を抜け出してベランダに隠れるものなんだと思う。

隠れるは、最大の防御。

でも、そのベランダで「ここから飛び降りて、人生を終わりにしたい。」が始まってしまうものなのだと思う。



小学2年生の秋、日差しがまだ強く、前が何も見えなかったのを今も覚えている。



家族が買い物に出かけてひとりになったら、家で必ずやっていたことがある。

ブラウン管テレビと同じくらい奥行きのあるテレビ台から、VHSのトムとジェリーを引っ張り出し、さらに "怪物ジェリー"と "ご機嫌ないとこ"の回を見ること。それと、ジャンプの男子が大好きなページを見ること、

そして、首を吊ることだ。

小学生で自ら命を断つ正しい方法は、正真正銘の純粋無垢で、知りもしなかったので、夏用ブランケットを二段ベッド上の柵にくくりつけて、首にかけてぶら下がっていても、何も起きなかった。

今思えば、自ら命を断つ行為というより整体やらヨガやらなんやらで、首とか背骨を伸ばす施術に近かったんだと思う。

小学生だから体重も軽く、とってもその時間が安心できて、普段より息がしやすくて、ある意味、理にかなった安らかになる行為だったのかもしれない。

夏用ブランケットに首を包まれると、ちょうど良くヒンヤリしていて、柔軟剤の香りがして、まるで違う国にいるような感覚だった。

特にどの国かという話ではなく、なんとなく、括りつけて円を描いたあのブランケットのたわんだ穴が、違う世界が覗ける出窓に見えた。

もし、この先の世界に行けたら、僕はいじめられなくて済むのだろうか。

いやもっと、素敵な世界が広がっていて。素敵なお姉さんに出会えて。

と浮足立っていた。



-【この世は、たぶん、生きがしづらい。  その1 】

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