2024.11.22 更新
師は、仏法の核心の部分のみを、一切の飾りなく、やさしい日本語により、真っ直ぐに示されています。この投稿では、暁山禅師の、基本となる説法の要点を、筆者なりに 7か条にまとめてご紹介します。
この当代最後の禅匠の口調は柔らかです。ですが、その指導力は凄まじく、聞くものの無明の闇を、電光影裏に断ち切ろうとします。
そうした中で、老師は、「私」という言葉に代えて、<コノモノ>などと表現することで、法を概念化させないように工夫を凝らしています。なお、淡い緑の枠内の引用文は老師の説法の抜粋です。それ以外の文章は筆者によるもので、老師の直接のお言葉ではありません。
7つの導き
☘️1 両手の音声
☘️2 対象化以前
☘️3 自我の無い場所
☘️4 人間の現実
☘️5 釈尊の悟り
☘️6 考え方で探さない
☘️7 救われている
☘️1 両手の音声
パンと手を打てば音が出ます。この音は、今、ここに人がいるから聞こえています。つまり、五感の働きによって音があります。音は、今ここに、人の上に現成しています。
☘️2 対象化以前
私たちはあらゆる物事を、対象として捉えています。事物を見聞きした後に、対象化したものを脳内で認識しています。では、対象化以前の現実はどうなっているのか、そこをよく観てゆくことが、仏道のはじめの一歩なのでしょう。
☘️3 自我の無い場所
物事を対象的に見るのは、自我を中心に見ようとする知性の働きです。自我は思考の産物で、記憶の中にのみあるものなのかもしれません。では、思考を外してみたときには、自我はどこかにありますか?
☘️4 人間の現実
無我とは自分が無くなることではなくて、自分を概念的に捉えることを、一旦やめてみることではないでしょうか。概念的に捉えることをやめた時、「私たちは決して、認識に縛られてはいない」ということが分かるはずです。
☘️5 釈尊の悟り
「記憶の中だけにある自我」への執着を手放して、現実そのままを生きるのが、苦しみを脱した人間の生きざまなのでしょう。そのことに最初に気づいた人が、お釈迦さんでした。
☘️6 考え方で探さない
悟った人も、未だの人も、知性による後追いで悟りに辿り着くことはできません。現前の実動は、人知で変更することはできません。知性ではどうにも「やりようがない」、選択の余地がないのが、現前の法の姿ではないでしょうか。
☘️7 救われている
自我を核とした記憶と思考が、私たちの観察を混乱させています。この混乱を廃し、現実をそのままに生きていくのが、仏道という道なのでしょう。
上記 7か条の各項の引用文は、老師の2018年9月の動画から取ってきてたものです。
以上、暁山禅師の指導を 7か条にまとめてみましたが、哲玄老師自身はこのような定式化はしないと思います。でも、予備として「禅とは何か」を学ぶ段階では、この 7つのまとめは良いヒントにはなるはずです。さらに深く禅を修めたい方は、まずはオンライン禅会などで、老師と直に対面されることをおすすめします。
法とか道とか仏性などと呼ばれる現実の活動は、人類が存続する限り失われることはありえません。
ですが、哲玄老師は現在91歳。この最後の禅匠のお話を直接聞ける機会は "今" しかありません。老師は、私たちのために、オンライン禅会を開催してくださっています。あまり難しく考えずに、奮って、気楽に参加されるよう、お勧めします。
2024.10.26 Aki Z