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筆者の見た、暁山禅師と盤珪禅師 ~本当の禅の神髄

2024.11.17 更新

 2024年現在 91歳の、和歌山県紀ノ川市「玄燈庵」の暁山禅師ぎょうざんぜんじ(井上哲玄老師)は、現代では絶滅危惧種とも言うべき、大悟徹底された禅匠ぜんしょうです。老師は日本の、いえ、世界の宝者です。【座らないオンライン禅会】がありますので、一人でも多くの方に、本物の法話を聞いて頂きたいと思います。

 暁山禅師の動画を拝見して、その教導の直接性に驚きました。もし、現代に、不生禅ふしょうぜんで有名な盤珪ばんけい禅師が生きておられたら、たぶんこんな感じだったのかなとも思いました。

 井上哲玄老師は、盤珪禅師と違って「不生の仏心」などという特別な看板は用いませんが、盤珪禅師とおなじように、坐禅もお経もそっちのけで、やさしい日本語で、直づけに法を指し示します。

 「法」でも「六根」でも「不生」でも、道を説くときに、一般的な仏教書のように専門用語の説明に終始してしまうと、ただちに現前を離れてしまいます。「現前」と言っただけでも、もう、「現前そのもの」を離れてしまいますが、何か言わないと伝わりません。

 そこで、老師は パシッ! と閉じた扇子で卓上の本を打っておいて、

 いいですか、(パシッ!) こうやって聞こえたときに、このときには間違いなく、(パシッ!) このとおり、パシッっていう活動をしたんですよ。

と言います。他には何も無いですよと。

 この説き方が、江戸時代前期に活躍された盤珪を想わせます。盤珪は扇子は打ちません。ですが、「皆さんがこちらを向いて、私の話を聞いているとき、後ろでカラスやスズメの声がすれば、意識して聞こうとしなくても、カラスの声スズメの声を聞き分けて、間違うことはありません。これが不生の証拠です。」と言います。ここが仏道の核心なのだと思います。

 しかし、哲玄老師は、さらに先に行きます。

 音が消えたときにどこにあるんですか? どっこにも、何もないじゃないですか。(閉じた扇子の先で顔の周りぐるりと指し示して)、自分の生活として。影も形もないようになってるじゃないですか。ね。

 哲玄老師の説法は、現前を離れることはありません。ちなみに、「不生」というのは「生」という概念を否定した「現前の生」のことです。生まれていないのは、自我と認識です。

 それで、盤珪禅師は「親が産みつけたのは不生の仏心ただ一つ」だと言います。私は曹洞宗の伝統的な指導法をよく知りませんが、暁山禅師の指導法は、その教導の直接性において、無師独悟の盤珪禅師の指導法によく似ていると思います。

 禅に関する動画はたくさんありますが、どれもみな、禅を外から見て、その歴史や祖師方の教説を知的に解説するものばかりで、禅の神髄を真っ向から提示しているものは殆どありません。下の動画などは、独学で禅を志す人には、絶対におすすめの動画です。



 本日、老師のオンライン禅会に参加してお話を伺って、あらためて、老師の教導の確かさに確信を深めました。老師は現在 91才、今のうちにお会いしておかないと、正法を直接耳にするチャンスを失います。

2024.10.17 Aki Z


💎井上哲玄老師の公式サイトはこちら↓



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