翅合 上 /あご出汁改め合田作

部門:テーマ部門
テーマ:花
形式:小説
制作期間:半日くらい

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1

『人は花に片想いをしている。』


植物学に関する文献で見かけたその言葉は、濡れた真綿にインクを垂らした時のように脳に染み入った。蜂は花の蜜を吸い子孫を育てる。花はミツバチを利用し花粉を運ばせる。周りを見渡せば共生というにはあまりに強かで利己的な関係が自然界を形作っている。その傍で人間は花を愛でこそすれ、その繊細な利害関係にもはや入ることができなくなってしまったと著者は思ったのだろう。
しかしどうだろう、その美しさに魅入られた人間は頼まれもしないのに種を増やし、世界中にばら撒いた。自然破壊が進み他の植物が枯れゆく中、うまく人間に取り入った植物は「えこひいき」され死太く生き残っている。人は花から安らぎを享受し、花は安住の地を得た。

「利用されていたのは人間の方でしょうに」


2

青い部屋だ。
時刻は正午を指し、ちょうど頭上から燦々と陽が照り付けている。
しかしその生命を感じさせる橙色の光は、建物のガラスを通じ補色に変わる。
高い天井から床に散らばる砂糖の粒ほどになった服の埃まで、その空間は青で塗りつぶされていた。正確には、青く塗りつぶされていると以前の世界の人間なら判断しただろう。
しかしその空間───市内唯一の美術館のエントランスに集った人々は視界を埋め尽くす異様な色の光に目を留めることなく目的の場所へ足を急がせた。

『Homo-Bestita』と称されたその展示会は下層の人々の興味を惹き、太陽が高く登る時間帯にもかかわらず多くの客を集めた。慣れない地上に厚着を重ね、ある者は小さい子供をあやしながら、ある者は同好の士と共に好奇心で目を輝かせていた。そんな中にいっとう陰気な若者がいた。彼は黒い厚手のコートを一枚羽織った作業員のような風態で、息を切らし目は爛々と輝いていた。元は直毛であっただろう黒い髪はすっかり伸び放題だ。
「退いてくれ!!」
彼はそう叫びながら次々と人々を押し退け階段を登っていった。当然周りの人々は不満の声を上げるが、その必死の形相を見て押し黙る。彼は若いが見窄らしい身なりをしているし、きっと厳しい生活で心を無くしてしまったのだろう。誰だって狂人には触れたくない。

彼はやがて目的の場所へ辿り着いた。そこは吹き抜けになっており細い通路が橋のように展示物と展示物の間を繋いでいる。ガラスに並ぶものを目まぐるしく確認しながらしばらく猛然と突き進んでいたが、ある場所の前で歩幅が小さくなり、やがて停まった。

‘homo-pappillon’

そう簡素に書かれたガラスの向こうでは人の3倍はあろうかという大きさの、アゲハ蝶のような羽が透明なピンで壁に打ちつけられていた。まるで昆虫標本のような光景だがその中心、羽の根元には小柄な少女が祈るように手を組み目を閉じていた。白い衣服に身を包んだ彼女の表情には苦しみといった感情は浮かんでいないが、もうすでに生きていないことは誰の目にも明白だった。

少年は先ほどまでの忙しなさが嘘のように息を殺し、手すりを握り呆然と少女の顔を見上げていた。そうして瞬きもせずしばらく沈黙した後、不意にその場に崩れ落ち、顔を覆った。


「───ユリス」

強張った口からこぼれ落ちたのは、幼少に出会った初恋の人に贈った名前だった。

3

ランタンを持って散歩をするのが好きだった。
自分のちょっとした動きで影の形がグリングリン変わる。まるで世界の中心になったようだった。少年の家は植物と昆虫の保護を生業としている。所長の母親をはじめとした職員が作業している夜中の間なら、少年はハコニワを自由に散策できた。
少年は名前をタチバナと言った。彼は10歳前後の多くの子供と同じように遊ぶ場所を探すことにそのエネルギーの大半を注いでいた。虫籠を片手に駆け回る。小さい彼にとってここは謎と発見に溢れた宝島だった。一本角のかっこいい虫(カブトムシ、と母は言っていた)をを3匹捕まえたところで、自分のランタン以外の光を視界の隅に捉えた。
光る虫!?なんだそれは、かっこいいじゃないかと息巻いてそっと近づく。木の影に隠れて見えなかったがその先には青い光に包まれて座っている一人の少女がいた。
「きみだれ?ここの人?」
口に出しながら気づいた。光っているのは少女の背中から生えている翅だった。本で見たアゲハ蝶よりもずっと大きいが形はそっくりだ。その翅に着いた鱗粉がランタンの灯りを反射して輝いていたのだった。それは少年が「青」という言葉を初めて意識した瞬間だった。

タチバナのいる世界はかつて人間が隆盛を極めた頃からかなり時間が経っていた。自然破壊と気候変動が進み、人間もそれ以外の生物も過酷な生存競争を切り抜けねばならなかった。人間は有害になってしまった太陽光と気温の変化が激しい地上を嫌い地下に大きな穴を掘り、そこにコミュニティーを築いた。人々は夜間に活動し、昼には石の建物の中で眠った。地表に表出している上層の建物には昼間は人が立ち入らず、人々が活動するのは濃紺の闇と人口の白い光のコントラストの中だけだった。必然その世界に生きる人間にとって虹色の太陽光が見せていた「色」が意識されることはなく、タチバナも例に漏れず青という概念を知ってこそすれ実感することはなかった。

しかし、少女の持つ翅が放つ光は、無機質なガラス越しの太陽光とはまるきり違っていた。細かい粒子が複雑に反射して、青だけでなく蝋燭の黄色、水の泡の煌めく白、あるいは深い夜が作る影のような深い色が混ざり、角度を変えると宝石のように印象を変えた。少年は持っていた虫籠を取り落とし、わあ、と声を上げた。
「すごく綺麗だね!星空を映した水たまりみたいだ!」
少女はこちらを少し見て、ニコリと口の端を上げた。そこでようやくタチバナはその少女が、とんでもなく可愛らしい顔立ちをしていたことに気づいたのだった。
丸みのある頬を薄浅葱のしっとりとした髪が覆い、垂れ目がちの目を縁取るまつ毛は両端が飛び抜けてながく、先がくるっと巻いてある。
にわかに顔を赤くしたタチバナは何か声をかけようとするものの、意識した瞬間上手く言葉が出てこない。人口の減少が著しいコミュニティで、年頃の少女と話す機会はこれまで全くなかった。気の利いた話などできないし、まずそもそもこの蝶々のような翅を持った子はどんなことに興味を持つんだろうか。
戯れに名前や歳を聞いてみるものの、少女はニコニコと笑ったままで一向に答えない。めげそうになってきたあたりで遠くから母親の呼び声が聞こえた。
「あ、僕行かなきゃ、明日もきっと来るからここにいてね!」

4

翌日、タチバナは沢山の果物を持って彼女の元を訪れた。彼女は同じ場所で翅を広げて座っていた。ハコニワでは沢山の植物を育てているので少しくすねてくるくらいは造作もない。

家に帰って母親に話を聞き、彼女はhomo-bestita, 人型昆虫の仲間だと知った。生存競争の激化の中で、絶滅の危機に瀕した昆虫の中に人間に似た形質を持つ個体が出現し始めた。それらの新種の生き物や気候変動を生き抜いた植物だったりを保全し研究するのがタチバナの母、レイネをトップに据えたハコニワという施設の役割だった。

母によるとhomo-bestitaは見た目は人間に似ているが全く同じ能力があるわけではなく、声帯はあまり発達していないらしい。しゃべれないのかとガッカリしたが、その他にも色々意思伝達方法はある。話そうとすると緊張してしまいがちなタチバナには、一緒にさくらんぼやリンゴを食べながら笑い合うくらいがちょうどよかった。
彼女は何も知らないようだった。初めは果物を見せても動かず、タチバナが皮を剥いてまず食べてから、残りを彼女に差し出して始めて食べるということを理解したようだった。初めはニコニコしているだけだったが、やがてタチバナの動きから相槌を覚えた。今やからかうと少しムッとした表情をするし、その日にあった大変な事故の話をすると目を見開いて驚きの表情を見せるようになった。タチバナが目の前で高い木にのぼり、果物をとってきてあげようと格好をつけた挙句にすっ転んだ時は、口を大きく開いて目を細めて笑った。いつもの微笑みと違う大ぶりの蕾が開いたような笑みに、彼は痛みなどを忘れて顔を真っ赤にして固まった。

ハコニワは地表に剥き出しているので、夜中は空の星が綺麗に見えた。
宙に見える天の川がオリオン座に変わるまで、タチバナは毎日彼女の元に通った。
「きみの名前を考えたんだ」
他の国の言葉なんだけどね、と続けた。いつか彼女に渡した、羽根と同じ色の玉飾りのネックレスが光った。きっと誰もが夢中になってしまう美しい瑪瑙の翅。何より響きが彼女にあっていると思った。
「君は今日からユリスだ」
ユリスとたった今名付けられた少女は、普段とまた違った艶やかで美しい笑顔を浮かべた。


話はできなくても、タチバナはユリスが大好きだった。

その頃、ハコニワの階下にある職員用の実験施設の一角、所長室では恰幅の良い紳士と細面の女性が話していた。
真っ直ぐな黒髪を首の高さで切り揃えた女性──レイネ・アベイルは鋭い目つきで紳士を見遣った。どうやらあまり良く思っていないのだろう、突き放すような口調だった。
「それで?わざわざここにいらっしゃった要件を伺っても?」
紳士は鷹揚に返した。
「なに、実は下層でヒト型生物を集めた娯楽施設を作ろうとする動きがあってね、何体か見目の良いものを譲ってもらいたいのだよ」
「ここの生物は太陽光への耐性があるとされており、人類の地上回帰への可能性を探す上で限りなく価値が高いのですが」
レイネは低い声で返した。
下層は太陽光から最も遠い場所であり、そこに住む人々はそれを反映して権力と財力を兼ね備えた層だった。態度こそ大きくとも上層の上層、地表部に接するハコニワの職員には実質断る力もなにもない。小さく嘆息すると、素早くモニタを動かし、好まれそうな見た目の個体を選別していく。
「まあまあ、少し減ったくらいでなんだと言うんだ。どうせ虫なのだ、放っておけば増えるだろう。それに君は───」
「完了しました。こちらがリストです。直にご覧になりますか?」
声を大きくして遮る。つくづく鼻持ちのならない男だ。
「いや、いや、構わんよ。ここに来たのはついでだからね。ふむ、なかなかいいじゃないか、ハハハこれは奇怪、うむうむ、これとこれは要らん」
「明日の昼頃には出荷できますが?」
「ならそのように頼むよ」

翌晩、タチバナがいつもの場所に向かうと、ユリスは跡形もなく消えて無くなっていた。


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作者の感想・あとがき:

シリアスむずかシィエーーーーーーーッッ
兄弟が綺麗な蝶の昆虫標本買ってきてええ〜〜と思ったのがきっかけです
前作とは別の世界線で、二本立てくらいにしようと思っています。

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