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「#15」在宅介護で生活が一変する

みなさま、こんにちは。カンボジアシアヌークビル在住のそくあんです。
前回のあらすじはこちらです。



家族の決断

2018年1月10日の朝9時。

突然胸の苦しさを訴えた母親を病院へ搬送し、精密検査をしてそのまま入院をすることになりました。
心配性の父親はもちろんあたふたパニックに陥ります。
意外と母親は冷静だったみたいで、
「母親というか、女は強しです。」


少しすると母の容態は安定し症状も回復していきます。主治医の判断で在宅介護に切り変えていきます。

でもね、この難病は現代医学では完治せず早かれ遅かれ死に向かう事実。
在宅介護に切り替えたもの、誰が面倒をみるのか。
難民できた私たちには祖父母も頼れる親戚もいないのです。

日本にいる兄弟はそれぞれ家庭と仕事を持ち、24時間365日、時間を100%捻出することは不可能でした。
家族で話し合った結果、父親が会社を退職することで介護に専念できるという判断をしました。というものの、経済的余裕はないですから苦渋の判断でした。
そこからは初めての在宅介護となり生活が一変します。

家族の絆

2018年の夏ごろ。

60歳を超える父親が1人で介護をするのは負担が重く、精神的にも辛いと判断し市役所へ相談をして訪問介護も利用することにしました。

病院とは違う環境のためか、自宅介護では頻繁に心臓発作を起こすことになり、その度に入退院を繰り返すようになりました。

長期入院

秋の季節、11月頃。 

病院に運ばれた母親は自宅に戻ることなく長期入院となります。
5度目の入院となります。
小柄でややふっくらした母の身体は次第にやせ細り、手足は骨が浮出てるのが一目瞭然でわかります。
70%もある体内の水分も失われて肌は白い粉をふきカサカサになっていきます。

病院で処方された軟膏クリームで母親のカラダを優しくマッサージをします。硬直すると痛みが増してベッドで横たわるのも辛いそうです。
それに筋肉が弱り体力も失われて活力さえなくなります。
身体を蝕んでいくのです。

そのとき血中酸素濃度の数値も少しづつ下がり始めて自発呼吸が難しくなり、苦しさも訴えはじめます。

東海大学病院のNICU病棟に入院

死が近づく


季節が移ろう秋。
唇の乾燥がひどくなります。
手元には愛用しているリップクリームを置いてこまめに塗ります。
そして、ここから一気に容態が悪化していきます。

そして12月になり、クリスマスを迎えます。
昔、一時帰国の時にひょんなご縁で繋がった女性と仲良くなりましてね、そしたら彼女が母親の介護にあたっている便りをもらい安堵したのを覚えてます。
ある日、彼女から一本の電話がカンボジアにいる私の元に入ります。

確か、1月中旬以降の電話だったかな。
「お母さんの容態が悪化してるので時間ができたら日本に」という連絡。
母親が長く生きれないことを彼女はもう知っていたんだと思う。

直ぐに航空券を手配し私は子どもを置いて日本に向かい、
母親が入院している地元の大学病院にその足で駆けつけます。

母の意識はしっかりしており、呼吸は苦しいものの私に何かを訴え伝えようとしているのがわかる。
娘が来てどれだけ安堵したのだろうか。
主治医と看護師さん、知らせてくれてお友達に挨拶と感謝の言葉を伝えて、しばらく母の傍にいることにした。

自発呼吸が困難だが意識はしっかりある


今日はここまでにしますね。
最後までお読み頂きありがとうございます。
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そくあん
カンボジア、時に日本。 知らない世界を学ぶのが好き。カンボジア南部海辺街のシアヌークビルで暮らしてます。 皆様の暖かいサポートをお待ちしております。