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タイの難民キャンプで生まれたんだよね、私。
カンボジアシアヌークビルに住んでいるそくあんです。
なんぜか急にnote熱が出てきたので冷めるまでは投稿が続くと思います。
初めましての方はこちらを読んでね。
名前はそくあん。
1981年11月8日生まれで43歳を迎えます。
現在はカンボジアの南部シアヌークビルに住んでいます。家族構成として、
カンボジア人夫と三姉妹の娘がいます。
日本には兄弟と父親が住んでいます。実母は2019年3月に難病のため他界。父親は25歳の差で再婚している。
読み手がわかるように少し整理してみよう。
出生地はタイ(現サケーオ県)の難民キャンプ内、スラッカエウ2というサイト。
14:00pmに生まれたと父親から聞きました。
キャンプ内にはサイトがいくつかあり、兄弟はカオイダンKhao-I-Dang Holding Centerで生まれてます。
しまった!
カオイダン難民キャンプの地図や説明を調べていたら膨大の情報が出てきて、何をチョイスしていいかわからずnoteの執筆が止まった。
私の弱点は群抜いてリサーチ力のなさ。
そして、記憶力がとてつもなく欠けている。
話が脱線したが、
私はスラッカエウ2というサイト生まれ、その後兄弟2人が生まれた。
カンボジア内戦が1979年1月に終息して随分と月日が経過したころ、難民として過ごした仲間は、先にアメリカやカナダ、フランスに定住している
私たち家族は定住先が決まらずまだ難民キャンプ内で生活をしている。早々に渡航できなかったには色々理由があったのだろうか。
父から聞く話では、
実の姉がアメリカのサンディエゴに移民として行ったので、自分も申請をしたが書類の不備か、なんだかで受理してもらえなかったと。
そうこうしているうちにカナダへの定住許可が降りたらしい。しかし、渡航前の健康診断で母の肝臓に異常があったことから渡航拒否をされた。
父は困ったそうで。
同時に日本定住の許可も降りたと聞いている。
その時、父は曹洞宗ボランティア会で一緒に働いていた日本人の青年ボランティアに相談をしたようで、青年が紙に何か一筆書き込んで父に持たせた。
その紙をどこに持って行ったのだろうか、調査員のもとかな。
https://sva.or.jp/about/
許可は降りたが健康診断もやらないといけない。結果はカナダの時と同じだったが日本で治療受け入れが可能ということで日本行きが決まった。
これらについてはこちらにまとめています。
今日はここまで。
小学時代を書いてみようと思うけど、あまり記憶になくて。
そのうち思い出したら書こう。
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