![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/77515355/rectangle_large_type_2_2519610668e8da1600c2912057246de1.png?width=1200)
我々は未来に向かって、後ろ向きに進んでゆく。 それなら僕は。
ーーー
この前、電車の最後部車両で後ろを正面にして座れる席があったので、座って見ることにした。
線路がどんどん奥に吸い込まれていくようなその風景は、とても新鮮で色々と考えてしまった。
奥に吸い込まれるレールを見ていると、先にあるレールの形もなんとなく予想できるような感じがするのだ。
ーーー
少し話は飛んでしまうが、「これから先どうなるのだろう」と、将来への漠然とした不安だったり、逆に希望を感じたことはないだろうか。
そんな普遍的な悩みに対して、一つの考え方を与えてくれるのが、メディア論を提唱したマーシャル・マクルーハンだ。
彼は「我々はバックミラーを通して現代を見ている。我々は未来に向かって、後ろ向きに進んでゆく」という言葉を残した。
今日はこの言葉を検討しつつ、自分たちの未来をどのように考えるべきかについて語ってみる。
![](https://assets.st-note.com/img/1651309085092-O1hTp3JKxc.jpg)
私たちは、過去をみることでしか現代を捉えられない。
「我々はバックミラーを通して現代を見ている。我々は未来に向かって、後ろ向きに進んでゆく」
この言葉を図に表すとこんな感じになるだろう。
![](https://assets.st-note.com/img/1651309139823-0sty92Tl9Z.png?width=1200)
バックミラーにうつるのは当然、自分が少し通り過ぎた場所の景色だ。
僕たちはいつも、今を見ることはできると言うけれど、マクルーハンによれば僕たちが現在だと思っているものは「少しだけ過去」なのだと言っている。
未来に向かって、後ろ向きに進んでいく。 それなら僕は。
ここで、僕が電車に後ろ向きで座った話に戻りたい。
人間は歩くとき、普通は前を見て進むから、後ろ向きで進んでいく風景は不思議だった。
後ろ向きで進んでいるのに、吸い込まれるレールを見れば、この先進んでいく道がわかるように思えた。
このことから考えたことがある。
私たちが未来に対して不安になる時、それは、過去のレールから外れたり、過去のレールが見えなくなっている時なのではないか。
小学校、中学校、高校、大学。
僕はこの全部に学費を払ってもらって、レールから外れることがなかった。
そして、このレールの最終区画が「就活」であり、ゴール地点は「安定している企業への就職」である。
このようなレールに乗り続けている限り、不安を感じることは少ないのだろう。
でも、人によっては、どこか心の奥で「このままで良いのかな?」という思いが残り続ける。
レールを見ることでは予測がつかない所を羨望しつつも、レールが見えなくなる選択をしたり、レールから外れようとしてみれば、不安が襲ってくる。
けれど、「我々は未来に向かって、後ろ向きに進んでゆく」のだとしたら、どこかレールの先には見えない遠い所へ行きたいなら、今見えているレールからは外れる必要がある。
今見えているレールがあるのなら、どんな未来に向かっていくのかは、考えてみたら分かるのだ。
その未来は、今の僕にとっては求めるものではないから、僕は今のレールから逃げるようにこの先を進みたいと思う。