そっけない日常
暇な時ほど、自然と昔のことを思い出す時間になってしまう。
小学生の時の初恋の男の子との甘酸っぱいやりとりや、中学生の時、1時間かかる帰路をくだらなくも笑える話をしながら、同級生と歩いて帰ったこと。高校生の同じクラスにいた、わたしの笑いのツボな面白い男の子のことなど。
昔を懐かしむときは必ず、きらきらしたいい思い出ばかりを思い出す。
自分の学生時代使用していたTwitterアカウントを見返すと、益々思い出が鮮明に蘇る。
どんなつぶやきをしていたか。
投稿を見ると、絵文字が多くて鮮やかだ。そして文面は、あたかも誰からも好かれたいようなゆるい言葉遣い。
今の自分からは、眩くてすこし恥ずかしい。
けれど、心はじんわり温まったりする。
これが、「青春」なのかもしれない。
次にフォロワーを見る。
このアカウントが機能していなくても、未だにフォローしてくれている人がたくさんいた。
恐らく、定期的にフォロワーを整理しないひとか、アカウントを今使っていないひとのどちらかだろう。
部活の後輩だったり、妹、兄の友達。
昔付き合っていた彼の友達だったりと、自分と直接あまり関わったことのないひともたくさん。
簡単に誰とでも繋がれるSNSは、便利でもあり、少し恐ろしい。
そんな中、高校の時3年間付き合っていた同級生の彼の姉をフォロワーの中に見つけた。
私と彼が別れた後も、なんであの子と別れちゃったの?と姉が残念がっていたと、彼が話してくれたことを思い出す。
私は高校時代バスケットボール部に所属していて、彼の姉は男子バスケットボール部のマネージャーさんだった。
2つ上だったので、私が1年生のとき、隣のコートでマネージャーさんを務めていた姿はよく目にしていた。
彼と一緒に下校する際、たまたま出会してご挨拶したり、女子バスケ部の先輩達と仲が良く、部室ですこし顔を合わせたりと、そのくらいしか面識はなかった。
なんとなく気になって彼女のアカウントに移動してみた。
最近の投稿はまるでなかった。
今使ってないのかな?と、いいね欄を見ると、最近の日にちの投稿があった。
つぶやきはしないものの、他の人の投稿は見ているのだろう。
すると、いいね欄の上から2つ目の項目に、自身がつぶやいたであろう昔のつぶやきをいいねしているものを見つけた。
それは、画像付きのツイートであったが、なんだか私自身見覚えがあるものが写っていた。
それは、私が高校3年生のときのバレンタインで、彼に作ったくまさんの形をしたシュークリームだ。
それを持った彼女の手元と、そのすぐ側に、彼の実家で飼っていて何度か見かけたことのあるダックスフントが写っていた。
あ、お姉さんも食べてくれていたのか。
彼からは特に言われていなくこの時に知ったので、味は大丈夫だったか今になって無駄に不安になった。
そしてツイートの内容を見る。
シュークリーム美味しかった!作ってくれる人がいていいな、、。モカもたくさん食べてました!
、、、ん?
モカもたくさん食べてました?
ここで登場するモカというのは、彼が飼っていた犬の名前だ。
お姉さんが食べていたことは、なんとも思わなかったけれど、飼い犬のモカまで食べていたのか、、?
その文章を読んで、意味を理解するまでにすこし時間がかかった。
当時の記憶を辿ると、かわいいくまの顔を描いたシュークリームを作った。
とても手間取ったのを覚えている。
彼にあげたのは6個。
それも、12個くらい作って顔のかわいい出来のいいものを厳選して渡したのだ。
その日は確か雪が降ったホワイトバレンタインで、母に車で彼の自宅まで送ってもらってわざわざ渡しに行ったのを覚えている。
1人にシュークリーム6個は確かに多い。
生ものでもあるし、はやめに食べてもらいたい気持ちもある。
その時点で家族の方に食べてもらうこともあるという考えは当時の私にあっただろう。
けれど飼い犬のモカは、私の予想してた"家族"の中にはいなかったのだ。
唖然とした。
と同時に、犬ってシュークリーム食べれるの?とどうでもいい疑問を持った。
一生懸命彼の為に作ったくまのシュークリーム。
モカも"たくさん"ということは、2つ以上は食べているだろう。
、、いいんだけど。別にいいんだけれど。
怒りもしないし、悲しくもなっていない。
けれど何故か妙に複雑な気持ちになって、Twitterを閉じた。
やっぱり誰とでも繋がれるSNSは恐ろしい。