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世界を変える前に、住まいを変えよう
この国を変えたいと思って生きている。
自己責任の一言で片付けられてしまう貧困の再生産。
路上生活者に嫌がらせをして笑う子どもたちがいる、病んだこの社会。
報じられる悲惨なニュースに心を痛め、あるいは何が報じられていないかに心を痛め、自分にできることはないかと虚しく考える。
朝ごはんにふたごの目玉焼きを作り、塩胡椒とパプリカパウダー(結構合う)をかけて食べながら、ニュースをチェックして社会病理に思いを馳せる。
そんないつも通りの朝に、ふと気がついた。
ーーこの国を変える? この家も変えられないのに?
見わたすと、部屋はひどいありさまだった。
遠方の祖父が送ってくれたサツマイモ20本が、段ボール箱そのまま、食器棚の前に鎮座している。単純計算で一人10本ずつ食べることになるこのサツマイモは、案の定まったく減らず、長期戦にもつれ込むことは確実だ。
カーテンレールには同居人のスーツが所狭しと干してあり、まるでスーツ屋のよう。せっかくのあたたかい秋の陽射しを遮っている。
そしてそこら中に小さな群れをいくつも作り、互いに縄張り争いでもしているかのような、本、本、また本……。
すべてをなんとか収納に押し込んだとしても、家具たちはどうにもならない。大体が急な引越しスケジュールの中で考えるまもなく買ったもので、デザインがあんまり好きじゃないな……使いづらいな……と思いつつも、ごまかしながら使ってきた。
もしかすると、世界に対する悲しみや無力感が、この家の雑然さによって増幅され、何倍にもなってのしかかってきていたのではないだろうか。
同居人のものがいくらなんでも多すぎないか。家事をもう少し率先してやってくれたらいいのに。なんて、ときどき思い浮かぶ小さな不満も、国に対して抱いている不満と結局は同じなのかもしれない。
みんなが選挙に行かないからこうなるんだ。国がもっとこうしてくれればいいのに……と、だれかのせいにして問題から目を背けるという点で。
これは良くない。
「自分の心のコップからあふれた水でしか、他人の心のコップを満たすことはできない」という言葉もある。
まずは他でもないこの私が、この国を……変える前に、この家を変えて幸せにならなくちゃ!
そんなときに、私を勇気づけてくれたのがこの本だ。
本の概要を引用してみよう。
日常において、とても些細なことだけれど、気にかかっていること。タオルやシーツ、ゴミ箱、セーター、靴、本棚……。これでいいやで選んできたもの、でも本当は好きじゃないもの。それらが実は、「私」をないがしろにしてきた。淀んだ水路の小石を拾うように、幸せに生活していくための具体的な行動をとっていく。やがて、澄んだ水が田に満ちていく。――ひとりよがりの贅沢ではない。それは、ひとの日常、ひとの営みが軽視される日々にあらがう、意地なのだ。それが“私”の「生活改善運動」である。
著者の方が好きな街に引っ越して、ひとつひとつ丁寧に暮らしを作りあげていく様が語られるエッセイだ。
おしゃれな家に住んで丁寧な暮らしをしている人は、美的センスと整理整頓スキルという天性の才能に恵まれているのだから、私のような人間には無理なことだと諦めていた。
でもこの本を読んで考え方が変わった。「生活改善運動」、もしかしたら私にもできるかな。やってみようかな、というふうに。
より具体的な指南書として、この本も参考にするつもり。
というわけで、ゆくゆくは世界を変えるために、まずは一所懸命住まいを変えることにした。
美的センスと整理整頓スキルをお持ちの方は、ぜひいろいろと教えてください。そしてサツマイモの消費レシピも……。
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