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イツカ
2020年8月11日 00:27
なぜそんな話になったのかはとんと記憶にない。 父親の59の誕生日と、それから両親の結婚25周年の祝いを兼ねて少し豪華な昼食に出かけた日。ディスタンスな配置で、趣向を凝らした季節の料理を口に運びながらする話でもなかった。 とにかくなぜだか蛞蝓の話になって、そうしてふと思ったのだ。「蛞蝓って、自分と外との境界が曖昧そうだよね」「蛞蝓に自我はないよ」 私によるファンタジックな問題
2020年8月11日 00:24
なぜ子どもは木に登るのだろう、と考えた。 お彼岸シーズンである。三連休ということもあって、家族で連れ立って墓参りに出かけた。空は青く澄み、シジュウカラの声が聞こえる。かなり大きな霊園(東京の、とつければ、ある程度は想像がついてしまうだろうか)であるため、霊園の中には道が幾本も通っており、その脇には大きな木がどっしりと立っている。 墓石をこすったタワシを備え付けの水場で洗いながらふと顔