白田信幸は凄いんだな。
御年24歳。
(初めて「御年」の間違った使い方をしましたが)
まだ年齢的に全然若いのは承知だが、それでも個人的な衰えを感じるときがある。
最近浮き彫りになってきたのが「食」への衰えである。
今まで幾度となく人生の先輩たちに「脂っこいものは選ばなくなった」とか「カルビは食べられない」など「食の衰え自伝」を聞いてきた。
その度に私は、
「んなわけ、"衰えた"を盾に戦争放棄しただけだろ。俺は絶対ジジイになっても次郎食べてる男でありたいし、それが男だ。食は戦いなんだよ。」
と、"人生の先輩"を突き放していたがようやくその気持ちが分かってきた。やはり年の功は存在して、先輩は先輩である。
数年前は飲食店で大盛りは当たり前だし、はち切れるほど食べても数時間したら腹が減ってた。
しかし最近は自分の注文した量に後悔することが増えたのだ。それがなんとも言えず切ない。
「数年前はこんな不安感を抱いて料理を待ってなかったよな....」
本当にそうである。食べられるのが当たり前。料理が運ばれて来るのが楽しみで、来たらすかさずがっついていた。食べ切れるかどうかの心配などするわけがない。
だが、今はどうだ?
自分が注文した量に自信が持てず、不安になるときがある。頭では分かっていても、心で食べようとするから量の辻褄が合わなくなる。
ただ大事にしたいのは心の中にいる、口の周りにソースとかつけながらいっぱい頬張っちゃう"ビックボーイ"みたいなやつ。リトル・ビックボーイがいるわけ(デカいのか小さいのかどっちやねん)
そいつの為に食べてるわけで、「あっ、すみません。うち腹八分までで、もう閉めちゃうんです。ごめんなさ〜い」なんて時短営業胃袋に育てた覚えはないんですよ。
しかしながら事実、学生時代などに比べて満足度が低くなっている気がする。
自信がないから「まあ、食べ切れるだろう」とぼやかして、そのせいでいざ食べると後悔する。
「あっぶね...ギリギリだったな(ウップ)」の頻度が格段に上がった。
初次郎なのに全マシトッピングを注文した客の中盤で食の異空間へと飛ばされた"あの顔"。思い出すだけで背筋が凍る恐怖。重なって、フードロスなども世界中で問題視されるようになってきている現代において、自信が無いのに綱渡りのような食事をするのは時代遅れなのではないかと。
それと同時に「ギリギリだったけど食べられた」という成功体験の積み重ねがより脳をバグらせココロオドラせてしまっている。
Real Face
ギリギリでいつも生きていたいから。
ギリギリ完食出来ない量を注文して自分に分からせてやればいいのかと思うときもあるが、アスファルトを蹴り飛ばす赤西仁に一蹴される。
それ故に調子に乗って食べてしまう。
具体的な天敵は、「半ライス」「餃子」「大盛り無料」「なんか注文しちゃった唐揚げ」etc.
要するにコイツらのせいで不安になり、そしてどこまでも高みに連れて行くのだ。
食べ残す夜を知らないっ♪
食べ残す夜は気に入らないっ♪
食べ残す夜が気に入らないよ〜
「食ループ」
嫌いでも流れてきちゃうよ。だって、気に入らないもん。食べられない自分なんてさ。でもこれからどんどん衰えは加速していくだろうなという悲しみと抗わなければいけなくなった事実は辛い。
ということで、最近かなり危なかった奴らを載せて終わろうと思います。
郭海皇みたいになっても次郎を食べる!!!
それは人生の目標です。