誇り
10年以上前の話。
私には、今でも忘れられない出来事があります。
まだ世間では、LGBTQのこともさほど取り上げられてはいなくて、
青森では「どこか遠くのおかしな人たち」という風に見られることが、
今以上に多かった頃。
「身近なところで、一緒に生きている人たち」として知ってもらうために、
団体のメンバーととあるイベントに出展し、
当事者を含めた座談会を開いていました。
すると、座談会が始まって少ししてから、
そのイベントの基調講演のために来青していた講師が、
すっと部屋にやってきて、空いていた椅子に座ったのです。
その方は、ご自身が社会的マイノリティでもあり、
現実に命の危険にも晒されながら、
長い間差別やヘイトに立ち向かってきた方でした。
講師は、静かにみんなの話を聞いていましたが、
1人の参加者が、声を震わせながら、
「自分は(LGBTQの)当事者だ」
とカミングアウトして自己紹介をしたとき、
真剣な顔で、力強く、けれど静かに一言だけ言いました。
「よく生きてきた」
私は、団体を立ち上げて活動を始めた時、
自分の中では、自分の苦しさは多少なりとも乗り越えたつもりでいました。
私には幸い居場所があったし、理解者がいたし、
もっと苦しい思いをしている人たちは、たくさんいたから。
それなのに私は、その方の言葉を聞いた時、
まるで自分がそう言われたかのように思えて、
涙がこみ上げてきたのです。
ああ、生きてきたことそのものが、
生きていることそのものが、
私にとって、どれほど大変なことだったのか。
自分で目を背けていた、自分の辛さを軽く見積もっていた。
でも私の心は、本当はずっと求めていたのだと知りました。
同情や慰めではなく、認められることを。
頑張って生きてきたこと。
生きるということは、決して当たり前なんかじゃなかったこと。
マイノリティとして熾烈な人生を歩んできた先達からの言葉だからこそ、
ずっしりと重く、尊い言葉でした。
いつかは、当事者からも大袈裟だなんて笑われる時代が来るかもしれない。
でも、私の心には今もあの言葉が刻まれています。
暗闇の中を、絶望しながら生きていた、
何も成し遂げず、何者にもなれなかった自分。
そんな自分をも、誇りに思えるように。
生きてきたし、生きていくよ。
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