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(小説)なんじゃろうにい②

「また行くんかな。ぎょうさん取ってこんでもええで。もう義兄さんはおらんのじゃけえ、あげる人もおらんのじゃから」
 ばあさんに小うるそう言われるのにも慣れとる。年を取って膝が痛うて歩くのに難儀をしょうても、口だけは達者で細けえことまで言い募るけえ、勘弁してくれと言いとうなる。せえでも、ええとこもあるし、たまにゃあええことも言うんじゃ。
「義兄さんが、あーよう、あーよう言うて呼ぶ声が、わたしゃあ、忘れられんわあ。そう呼ばれたら、お父さんがあにき、あにき言うて答えて、仲のええ兄弟じゃなあと最初聞いたときから思うとった」
 ばあさんにそう言われると、言われんでも、「あーよう、あーよう」いうあにきの声は、わしの中で消えることなく、何度も何度も繰り返される。声の高低も抑揚も寸分違わず再現される。
 あにきが孝志で、わしが敦志。子どもの頃からあにきに「あーよう」と呼ばれとった。あにきは母から「たーよう」とか「たーちゃんよう」と呼ばれとった。別に羨ましかったわけでもねえけど、なんでわしにはちゃんが付かんかったんかのう?
 せーにしても、今日は思わんよう取れるのう。ばあさんに釘を刺されたのに、気がつけば、はあぎょうさん取ってしもうとる。一本一本泥の中から蓮根を引っこ抜く瞬間の感覚が、何とも言えず好きなんじゃ。せえでも何本かは埋め戻そうかと思うぐれえじゃ。どうしょうか?
 家から近えし、蓮根を取りにこの池にもよう来たなあ。夢中になってぎょうさん取っては、帰りにあにきの所に持っていったもんじゃ。
 あにきはいつも満面の笑みで蓮根を受け取ると、「あーよう、ありがとう」と言うてくれた。あにきは蓮根が好きじゃったはずじゃ。母の作った蓮根の煮しめを美味しそうに食びょうた記憶があるから。
 いつじゃったか、義姉さんに言われたことがある。
「敦志さんのおかげで、蓮根料理が得意になったわあ」
 義姉さんにも喜んでもらえたんなら良かった。
 義姉さんに先立たれたんが、あにきにとっては一番の誤算じゃったんじゃろうなあ。せえから一年もせんうちに呆気のう亡うなってしもうて……。あにきはもっと長生きすると思うとったけど、八十過ぎてからの一人暮らしは、やっぱり相当きつかったんじゃろうなあ。
 口うるさいばあさんでも、老い先短い人生を、一緒に生きておってくれるだけでも良しとせんといけんのんじゃろう。「お父さんは、もっとお母さんのことを大事にせんといけん」と嫁いだ娘からも時々言われる。
 そりゃあわかっとるけど、口うるせえのをもう少し控えて、わしの気持ちをもうちょっと考えてほしいんじゃ。それは我儘じゃ、と娘に言われるんかのう。まあ、膝が痛うて階段を這うようにして上るばあさんを見ょうると、肉が薄うなった腰回りに哀れを感じることもあるけぇど。
 池の表面を撫でるように風が吹いてきて、ちょっと寒う感じる。雨が降ってくるかもしれんなあ。そろそろ切り上げろいうことじゃろうなあ。
 わしはぎょうさんの蓮根を大袋に入れて、よっこらしょっと勢いをつけて担ぎ上げる。これぐれえのことはまだできるで。「あんた、その年でようそがんことができるなあ」と驚く御同輩もおるけど、わしゃあ案外、実年齢より体力があるようなんじゃ。不思議なもんじゃなあ。子どもの頃は体力も能力もあにきに敵うわけがねえと思っとったけど、わからんもんじゃなあ。せえでも、体力頼みでどこまで、どれだけ生きられるかわかりゃあせんけどな。今は、あにきが経験せんかったコロナ禍じゃからな。
 おっと、いけん。帰り道、あにきの家に自然に足が向かっとった。今は誰も住んどらんけど、わしらが育った家じゃからな。足が向くのを止められんのじゃ。ぼっけえぼろ家になっても、いつまでもそこにあって欲しいんじゃ。この気持ちが我儘だとは、娘に言わせるつもりはねえで。
                            (続く)
                           
                               

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