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推しの、あと。✿最終回|実咲
「光る君へ」の物語がついに終わりました。
道長はじめ、四納言の俊賢・斉信・公任・行成も世を去ることになります。
このあと、時代はどのように進んでいくのか。
最後に少し、お話してみたいと思います。
彰子が産んだ一条天皇の次男である後一条天皇は、叔母にあたる道長の三女威子が中宮となっていました。
しかし作中でも言われていたように、二人の間には皇女しか儲けることができませんでした。
そのため、弟である後朱雀天皇が即位し、皇太子時代の妃である道長四女の嬉子が産んだ後冷泉天皇がその後を継ぎます。
紫式部の娘である賢子が乳母を勤めた皇子で、この功績により賢子は三位を授かっています。
その後冷泉天皇は、道長の息子たちが入内させた娘との間に皇子を儲けることができません。
次いで即位したのが、後三条天皇。
彼の母は、三条天皇と道長次女妍子の間に産まれた唯一の子供である禎子内親王。
道長は禎子内親王が産まれた時にかなり落胆したそうなのですが、彼女が藤原氏の運命を変えることになります。
つまり、後三条天皇の即位とは藤原氏を外戚としない天皇が誕生したということ。
これは、宇多天皇以来じつに170年ぶりのことでした。
後三条天皇の即位、そして国母として藤原氏と天皇家を支えていた彰子の崩御によって、摂関政治は終わりを迎えていくのです。
後三条天皇の次に即位したのが、院政を行った白河天皇。
「光る君へ」に続く、平安後期大河ドラマの気配がしてくるところです。
最終話には、『更級日記』の作者菅原孝標女も登場していました。
彼女が手にした『源氏物語』は、母のツテで一条天皇と定子の長女である脩子内親王に仕えている女房が脩子内親王に頂いたものだったり。
また、行成の娘が父譲りの美しい文字を書くということも『更級日記』は伝えています。
同じく最終話に登場した道長六男長家は、百人一首の選者藤原定家の先祖です。
定家は「光る君へ」の時代の文学作品の伝来に大きな功績を残すことになるのです。
「光る君へ」で描かれた時代は、さまざまな文献によって特に色濃く世相が今に伝わっています。
男性貴族の日記としては、道長本人の直筆が残る『御堂関白記』、長期にわたり詳細な記述である『小右記』、そして私の推し藤原行成の『権記』。
清少納言の『枕草子』や紫式部の『紫式部日記』、和泉式部の『和泉式部日記』などの文学作品も豊富です。
また、赤染衛門が作者の一人とされる『栄花物語』は、男性貴族の日記では分からない視点やエピソードを今に伝えます。
1000年以上も前の時代が、事細かに多角的に1日単位でありありと分かるこの平安中期という時代。
みなさんは、どの様に受け取られたでしょうか。
狭い都の中で繰り広げられる、どろどろとした血縁者だらけの人間関係。
権力者であっても会議がままならない、複雑すぎる政治のパワーバランス。
それは、現代よりもっと「生きづらい」ものであったかもしれません。
その中でも「生きづらい」男であった藤原行成。
彼の人生を重ねて「光る君へ」を追いかけて来たこの「大河ドラマに推しが出たので。」が、作品を楽しむ一助になれたのだとしたら幸いです。
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(終わり)
書いた人:実咲
某大学文学部史学科で日本史を専攻したアラサー社会人。
平安時代が人生最長の推しジャンル。
推しが千年前に亡くなっており誕生日も不明なため、命日を記念日とするしかないタイプのオタク。