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生活か歌か|働く日々の歌 2|澤村斉美

会社勤めをしながら、日常を短歌に詠む歌人である澤村斉美さんによるエッセイ。この連載では、仕事・労働にまつわる様々な短歌を読み解きながら、私たち一人一人の日々の労働と日常について考えていきます。
短歌が好きな人だけではなく、いまを生活しているすべての人に読んでもらいたいエッセイです。
*月1回更新。

 歌人は「兼業」であることが多い。短歌の仕事だけで生活しています、という人は、いるけれどとても少ない。多くの人が、どこかに勤めるなど短歌以外の方法で生活を成り立たせたうえで、短歌のかなりヘビーなあれこれに好きこのんで取り組んでいる。前回、島田修二の「サラリーの語源を塩と知りしより幾程かすがしく過ぎし日日はや」という歌を読んだが、島田修二も50歳までは会社員との兼業歌人だった。「サラリー」の歌は退職を決めた後のもので、歌集においてはその歌より前に次のような歌が置かれている。

歌にては生計立たぬかと問はれ立たぬと答ふ立てんと思ふ
                 島田修二『渚の日日』(1983年)
つづまりはわがたつき歌になじまねばこの生き方を変へんと思ふ
                               同上

 一首目、「短歌で生計は立てられないのか」と人に問われれば、「立てられない」と事実をありのまま答えるしかない。しかし同時に、胸の内には「短歌で生計を立てよう」という志もある。そして二首目を見れば、「いまの自分の生計の立て方では短歌をやっていけない。だからもう、この生き方を変えようと思う」と短歌の方に思いを振り切っている。この決断ができればどんなにすがすがしいことか。島田修二はこうして会社を辞め、専業歌人になっていった。
 
 生活にかまければ短歌にかけられる時間が少なくなり、歌に向かう心がすり減っていく。生活か歌か、生活か歌か……と苦しむそのはざまで私はこんな歌を作った。

生活か歌かと問へば生活を取りたり二十七歳にじふしちの吾が血は
              澤村斉美『galley ガレー』(2013年)

 二十七歳の頃、結局、本能的に生活を選んだ。つまり、就職することにした。お金が入ってこなければ歌も何もできないというごくシンプルなことわりに本能が従った。ここで別の選択肢はあったのだろうか、と今でも思うことがある。

生活はことばを奪ふ 玄関にひどく濡れつつ無言の長靴ちやうくわ
                千葉優作『あるはなく』(2022年)

 ここにも悩める人がいる……と立ちどまった一首。作者は歌人であり、勤め人でもある。「生活はことばを奪ふ」が胸にずしんとくる。ここでいう「ことば」とは詩歌の言葉のことだろう。生活をする心身と、歌を作る心身はモードが違う。歌人に限らず、なにか表現をしようとするときに人はそうなるものだと思うが、生活における言語体系とは異なる言語体系へと心身が移行し、その世界に深くもぐっていく。この歌では、生活に追われてしまい、歌のことばが生まれてくる余地がない状況を、玄関に濡れたまま立っている長靴が物語る。なんの変哲もない長靴のはずだが、ひどくかなしく無残に思えてくるところがこの歌のすごいところだ。生活を憎みながらも、その憎しみを歌って深い比喩を得ているところはもう、歌人のごうというしかない。

俺は詩人だバカヤローと怒鳴つて社を出でて行くことを夢想す
             田村元『北二十二条西七丁目』(2012年)

 いっそバカヤローと怒鳴って会社を出て行ってしまえ、と思うまでに、詩人としての「俺」と勤め人としての自分がせめぎ合っている。「俺」には自分は詩人であるという矜持と感情がある。一方で、まっとうな会社員としての自分がごく常識的に「俺」を抑えて「夢想」にとどめる。「俺は詩人だバカヤロー」という台詞にユーモアがにじむ。怒鳴りそうにもないキャラクターでなにくわぬ顔で働いている人の胸の内にこのような夢想があると思うと愉快だ。
 
 誰にでも生活がある。生活をこなしながら、生活にもがきながら、私たちはなぜ歌を求めるのか。心身は平板な言語生活に満足することなく、詩歌の言葉を求める。

かがやける柊二のことば読み終へて溢るる思ひに勤めにぞ出づ
                 島田修二『渚の日日』(1983年)

 島田修二の歌をもう一首。「柊二」は宮柊二(1912~1986年)のこと。島田修二の歌の師である。師の文章か短歌か、その「かがやける」ことばを読み終え、感じ入って溢れそうになる思いを秘めながら勤めに出ていく。ひそやかに明るく、活気を得た足どりが目に浮かぶ。この修二の姿はそのまま、歌と生活を行き来する私の姿でもあるのだ。

澤村斉美(さわむら まさみ)
1979年生まれ。歌人。塔短歌会編集委員。第52回角川短歌賞受賞。歌集に『夏鴉(なつがらす)』『galley ガレー』がある。新聞社の校閲記者として会社員歴17年。【X】@sawamuram0507