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星の味 ☆13 “自分以上の生命”|徳井いつこ

 エミリー・ブロンテの詩を初めて読んだのは、片山敏彦さんのエッセイだった。キーツやヴァージニア・ウルフにふれ、イギリスの詩文学のなかでプラトン的特質がさまざまによみがえっているのは面白いと語り、片山さんはこう書いていた。

「私はヨーロッパの旅の宿で、自分の心をはげますためにこの詩を訳してみたことがあった。

  ……たとえ 地球と人間とがほろ
  太陽たちと宇宙たちとが無くなって
  後に残るのは ただあなただけになっても
  すべてのものは あなたの中で存在するだろう。

  死が占める場所は まったく無い。
  死の力が空無にし得る一つの原子さえない。
  あなたは 実在であり そして息です。
  そしてあなたの本質がくだかれることはない。

 エミリー・ブロンテのこの詩文が、生涯最後に書かれた詩「わたしの魂は怯懦きょうだではない」の一部だと知ったのは、だいぶたってからである。
 あのときは、詩そのものよりも、見知らぬ土地でひとつの言葉を刻みつけるように読み、書くことによって慰められる旅人の姿が、深く印象づけられたのだった。
 そう、コトバはそんなふうに、人の心から心へと、生命の火となって動いてゆく。時間と空間に縛られている人間が、それを超越するすべとして磨き続けてきたもの。それがコトバだった。

 E.M.フォースターは『小説の諸相』のなかで、予言の要素を現出した小説家として、ドストエフスキー、メルヴィル、D.H.ロレンスとともにエミリー・ブロンテの名前をあげている。
 エミリーの名を不滅のものにした『嵐が丘』を、なぜ予言的小説と呼ぶのだろう。フォースターは書く。

「(ヒースクリフとキャサリン)ふたりの情熱は、ふたりの体のなかにあるのではなく、雷雲のようにふたりを取り巻いて、そして爆発を起こすのです。(中略)最後にふたりは亡霊となってヒースの野をさまよいますが、それもすこしも不思議ではありません。このふたりにほかに何ができるでしょう。生きているときでさえ、ふたりの愛と憎しみはふたりを超越していたのです。」

 この下りを読んで、『嵐が丘』を初めて読んだ時のことを思いだした読者も多いだろう。
 私は中学生だったが、他の男と結婚する決意を家政婦に語りながら「あたしはヒースクリフです!」と叫ぶキャサリンが、さっぱり理解できなかった。ましてや、彼女のこんな言葉が呑み込めたとも思えない。

「おまえにしろ誰にしろ、自分以上の“自分の生命”がある、またはあらねばならぬ、という考えはみんな持ってるでしょう。もしあたしというものが、ここにあるだけのものが全部だったなら、神があたしをお造りになったがどこにあるでしょう?」

 あらためて読み返してみると、なんと意味深長な言葉だろう。先述の詩「わたしの魂は怯懦ではない」とそっくりではないか?

 エミリー・ブロンテは1818年、イギリス北部ヨークシャーのソーントンで生まれた。
 アイルランド出身で牧師の父とコーンウォール生まれの母、双方からケルトの血を受け継ぎ、生まれながらに自然と結びつく神秘的な能力、語り部的特性をそなえていたと言えるかもしれない。
 姉は『ジェーン・エア』を書いたシャーロット・ブロンテ、妹は『アグネス・グレイ』を書いたアン・ブロンテ。「ベル詩集」と呼ばれる三人姉妹の自選詩集が出たのはエミリー28歳の年。『嵐が丘』が出版されたのは29歳の時で、それは風邪をこじらせて亡くなる前年のことだった。
 詩集は自費出版で2冊しか売れず、『嵐が丘』は詩と同様、明らかにキリスト教的ではないもの、汎神論的な逸脱があるとして、世評によって遠ざけられた。彼女の名が知れ渡り、わけてもすぐれた詩人としての評価が高まったのは19世紀も末になってからである。

  夜の星が 燃えているかぎり
  夕暮が 静かな露を注ぎ
  あるいは 日の光が 朝を金色に飾るかぎり
  おまえに絶望が あろうはずはない

  たとえ涙が 川のように流れても
  絶望が あろうはずはない
  幾年月 もっとも深く愛した者たちが
  永遠に おまえのこころを とり巻いているではないか

  彼らは泣く――おまえも泣く――確かにそのとおりだ
  風は おまえが溜息を吐いているとき 溜息を吐き
  冬は 秋の葉が 散り敷くところ
  その悲しみを 雪にして 降らす

  だが 彼らはよみがえる そして彼らの運命から
  おまえの運命は 引き離されるはずがない
  だから 旅を続けよ 喜び勇んでではないにしても
  ただ こころを打ちひしがれることなしに

 すぐれた小説家がしばしばそうであるように、エミリーは終生、詩人だった。
 彼女の詩という詩のなかに、死が埋め込まれているのは、ある意味、必然だったかもしれない。エミリーは3歳で母と死別し、7歳で2人の姉を、そして自身の死の数ヵ月前に兄を失っている。
 多くの親しい者たちが墓石の下に横たわり、教会墓地の真ん中にある住まいの司祭館は、文字どおり死者たちに囲まれていた。
 エミリーを語る上で何より欠かせないのは、ヨークシャーの荒野ムーア、司祭館の向こうに果てしなく波打ち広がるヒースの丘の光景だろう。
 彼女は花咲くヒースのなかを歩きまわり、草地に寝ころび、小川のせせらぎに耳を澄ませ、荒野の静寂にひたる孤独と夢想の時間を愛した。
 詩のなかで、風や、星を、神秘の領域に誘う懐かしいものとして度々うたっている。
 「星」という詩の一節。

  わたしはこころやすらぎ おまえたちの光を飲みほした
  おまえたちの光は わたしのいのちだったから
  そして荒海を飛ぶ 海燕のように
  わたしは変わりやすい夢の数々に ひたった

  果てしない境を 通りぬけて
  想いは想いの後を追い――星は星の後を追った
  その間に ひとつの甘美なある力が 遠く近くに
  脈うち わたしたちがひとつであることを証明した

 超越的体験ともとれるこうした描写が、あるいは多くの歴史家をして、エミリーを幻視者、神秘家と呼ばせるのだろうか。
 詩「夜風」のなかでは、幼なじみの風と語り合い、詩「白昼夢」では、小さな霊たちの歌声に耳を傾けている。

  わたしが荒野に横たわりながら 身を伸ばすと

  幾千万の ちらつく火が
  大気のなかに 燃えているように思われた
  幾千万の 銀の竪琴が
  遠く近くに ひびきわたったのだ

  わたしの呼吸する 息さえも
  神々しい火花に みちていると思われた
  わたしのヒースの 寝床もすっかり
  あの天上の光輝で 飾られているのだった

  そして広々とした大地が 霊たちの不思議な歌声に
  反響して 鳴りわたっている間
  きらめく小さな霊たちは 歌っていた
  わたしには こう歌っているように思われた――

  「おお 死すべき者 死すべき者 彼らを死なせるがよい
  時と涙に 破壊させるがよい
  わたしたちが 宇宙にみなぎる歓びを
  空に 満ち溢れさせるために[…]」

 この詩文を読みながら、抗いようもなく宮沢賢治の童話世界が浮かんでくるのは、私だけだろうか?

 冒頭に引いた詩「わたしの魂は怯懦ではない」について、片山敏彦さんはこんなふうに書き添えている。

「真摯な女性の魂が、苛酷な運命の歳月に耐えて、或る日めぐみ与えられた真実な神秘体験を、遺言として書きとめたものである。」

 遺言。それは詩の姿をとって、時間と空間を超えてゆく。
 そして、いまこの瞬間にも、見知らぬだれかに届けられる。

星の味|ブックリスト☆13
●『エミリ・ジェイン・ブロンテ全詩集』エミリ・ブロンテ 中岡洋/訳 国文社
●『嵐が丘』エミリー・ブロンテ著 田中西二郎/訳 新潮文庫
●『小説の諸相』E.M.フォースター著 中野康司/訳 みすず書房
●『片山敏彦 詩と散文』片山敏彦/著 清水茂/編 小沢書店
*本文掲載の詩は掲載順に、「わたしの魂は怯懦ではない」「同情」「星」「白昼夢」。
*引用文には一部、原文にない読みがなを追加しています。

星の味|登場した人☆13
●エミリー・ブロンテ

1818年、イギリス北部ヨークシャーのソーントン生まれ。父はアイルランド出身の牧師パトリック・ブロンテ。母はコーンウォール出身のマリア。五女一男をもうけ、その四女にあたる。姉は『ジェーン・エア』を書いたシャーロット・ブロンテ、妹は『アグネス・グレイ』を書いたアン・ブロンテ。28歳の時、シャーロット、エミリー、アンの三人は男性名で『カラー、エリス、アクトン・ベル詩集』を自費出版。翌年、唯一の小説『嵐が丘』を出版。兄ブランウェルが死去した際、葬儀でひいた風邪がもとで結核になり、30歳で逝去。


〈文〉
徳井いつこ Itsuko Tokui
神戸市出身。同志社大学文学部卒業。編集者をへて執筆活動に入る。アメリカ、イギリスに7年暮らす。手仕事や暮らしの美、異なる文化の人々の物語など、エッセイ、紀行文の分野で活躍。自然を愛し、旅することを喜びとする。著書に『スピリットの器――プエブロ・インディアンの大地から』(地湧社)、『ミステリーストーン』(筑摩書房)、『インディアンの夢のあと――北米大陸に神話と遺跡を訪ねて』(平凡社新書)、『アメリカのおいしい食卓』(平凡社)、『この世あそび――紅茶一杯ぶんの言葉』(平凡社)がある。
2024年6月、『夢みる石――石と人のふしぎな物語』(『ミステリーストーン』の新装復刊)を創元社から上梓。
【X (Twitter)】 @tea_itsuko

〈画〉
オバタクミ Kumi Obata
神奈川県出身/東京都在住。2000年より銅版画を始める。 東京を中心に個展を開催。アメリカ、デンマーク、イラン他、海外展覧会にも参加。2017年スペインにて個展を開催。カタルーニャ国立図書館に作品収蔵。
・2006年~2010年 ボローニャ国際絵本原画展入選(イタリア)
・2013、2014、2017、2019、2023年 CWAJ現代版画展入選
・2016年 カダケス国際ミニプリント展 グランプリ受賞(スペイン)
【オバタクミの銅版画】 http://kumiobata.com/
【X (Twitter)】@kumiobata
【Instagram】@kumio_works