星の味 ☆4 “奇妙な惑星の奇妙な人々”|徳井いつこ
シンボルスカの名を初めて聞いたのは、30年前のことだ。
当時ロサンゼルスにいた私は、こつこつ石の本を書いていた。
「どうして石の本?」と無邪気に聞かれるなかで、アルメニア系アメリカ人のその友達だけは、いたずらっぽい顔で「ヴィスワヴァ・シンボルスカを知ってる?」と尋ねたのだ。
知らない、と私は言った。
舌を噛みそうだね、その名前?
「ポーランドの詩人だよ」
と友人は笑った。
「石の詩を書いてる」
私たちはふたりとも赤ん坊を育てている最中だったが、彼女は夜中にキッチンで詩を書いていると話していた。
次に会ったとき、友人はおむつや哺乳瓶が詰まったバッグから、苦労して分厚い紙の束を取りだした。
それは彼女の詩ではなく、シンボルスカの『塩』という名前の詩集一冊分のコピーだった。
「石との対話」という詩が、そこに含まれていた。
石の扉を私は叩く
――私です 入れてください
私はあなたの中に入りたいのです
周りを眺めまわし
吐息のようにあなたを吸い込む
――出ていくんだ――石がいう――
俺は、ぴっちりと閉ざしている
たとえ 部分的に叩き割ったとしても
われわれは しっかりと閉ざしている
砂粒のように砕きつぶしたとしても
だれも入ることなどできはしない
こんな小節から始まる詩のなかで、「私です 入れてください」という言葉が6回繰り返される。
読み手は、人から石に、石から人に、数ページのあいだに、無限と有限を往き来させられる。
いまになれば、あのときの友人の笑みがわかる。
あなたはぜったい好きだよ、という確信だったのだ。
シンボルスカがノーベル文学賞を取ったのは、その2年後。日本語訳の詩集が出て、ポーランドの女性詩人の名は知れわたっていった。
もしかすると、多くの日本人は「春を恨んだりはしない」というフレーズとともにシンボルスカを記憶しているかもしれない。東日本大震災のあと、池澤夏樹さんが出したエッセイ集の題名は、愛する人亡き後の春をつづったシンボルスカの詩「眺めとの別れ」のなかの一文だった。
またやって来たからといって
春を恨んだりはしない
例年のように自分の義務を
果たしているからといって
春を責めたりはしない
わかっている わたしがいくら悲しくても
そのせいで緑の萌えるのが止まったりはしないと
惑星が恒星の周りをまわるごとく、シンボルスカは、無限とのあいだで宙吊りになった有限な私たちを描く。
「橋の上の人たち」という詩は、ゴッホも模倣したという歌川広重の『名所江戸百景』の絵「大はしあたけの夕立」に寄せて書かれたものだ。
奇妙な惑星とそこにいるあの奇妙な人々。
時間に屈するくせに、それを認めない。
反対意見表明の手段を持つ。
彼らは絵に描く、例えばこの絵のような。
夕立の絵の描写があり、こんなふうに続く。
橋の上の人たちは走っている。
一瞬まえと同じ場所を。
ここでコメント抜きには過ごせない――
これは決して無邪気な絵ではない。
ここでは時間が引き留められた。
その法則が放棄された。
出来事の進展に対する影響力を奪われ
時間は無視され侮蔑されたと。
ヒロシゲ・ウタガワとか
名乗る反逆者の力量によって
(その人も遠い昔に
去るべくして世を去ったが)
時間は躓き倒れたのだ。
あるいはこれも単に無意味な戯れか
たかだか二、三の銀河系に亙る規模の悪戯なのかも
時間が躓き、倒れる。
有限な人間が、時間を出し抜き、「永遠」に手を伸ばした。
いったいどんな魔法で?
芸術とは何かを、この上なく鮮やかにアイロニカルな手法で結晶化している。
ノーベル文学賞記念講演でシンボルスカが語った言葉は、忘れがたい。
「わたしたちは、星々の放射する光に貫かれた、世界の広々とした空間について何を考えるでしょうか。その星々のまわりには、すでにいくつもの惑星が発見され始めていますが、いったい、それらの惑星はすでに死んでいるのでしょうか、それとも、まだ死んでいるのでしょうか。わかりません。この果てしない劇場について、わたしたちは何を言えるでしょうか。この劇場への入場券をわたしたちは確かに持っているのですが、その有効期間は滑稽なほど短く、二つの厳然たる日付に挟まれています。しかし、この世界についてさらにどんなことを考えようとも、一つ言えるのは、この世界が驚くべきものだということです。」
驚くべきもの、
そして、わからないもの。
詩は、奇妙な惑星の奇妙な人々の宿命から生まれてくる。