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サラリーの語源|働く日々の歌 1|澤村斉美

会社勤めをしながら、日常を短歌に詠む歌人である澤村斉美さんによるエッセイ。この連載では、仕事・労働にまつわる様々な短歌を読み解きながら、私たち一人一人の日々の労働と日常について考えていきます。
短歌が好きな人だけではなく、いまを生活しているすべての人に読んでもらいたいエッセイです。
*月1回更新。

 京都・出町柳駅前のベーカリー柳月堂の閉店を知ったのは3月半ばのことだった。店のウインドーに張り出された「閉店のお知らせ」の写真がSNSで流れてきて、目も手も止まった。真っ先に思い浮かんだのがくるみパン。ふわふわのパン生地に香ばしいくるみを混ぜ込んだまん丸のパンだ。そして、ぶどうパン。レーズンがほど良く甘く生地の味を引き立てる。あの素朴な粉の味。あのパンたちを食べることができなくなるのだろうか。学生の頃から四半世紀、京都に住んでいても離れていても好きでい続けたパン屋が閉じるというのは、なんともさびしい。
 大学院を休学してあの近辺でアルバイトをしていた頃、昼休みに柳月堂でパンを買って鴨川の河川敷で一人で食べるのが至福の時間だったこと。パンを片手にぼんやりしていたら背後から音もなく滑空してきたトンビに大事なくるみパンをさらわれたこと。結婚後、夫が仕事帰りのお土産にぶどうパンを買ってきてくれたこと。子どもと出町柳駅から叡山電車に乗って遊びに行くときには柳月堂でおやつのパンを買って行ったこと。そういう個人的な、ふわふわと甘く素朴な思い出とともに柳月堂はある。創業は1953年というから70年以上が経っている。私と同様、柳月堂のパンを愛してきた人が無数にいるだろう。閉店を知った人は心から惜しみ、閉店をまだ知らない人の心には今も変わらず温かく在り続ける。そういうパン屋である。

 数日が経って、店に新たな張り紙があることを知った。
「ベーカリー柳月堂継続にご協力して頂けるパン職人様こちらにご連絡下さい」
として電話番号が記されている。
 ……なんで今、私はパン職人じゃないんだ。
 この時ほど自分がパン職人でないことを悔やんだことはない。私にパン作りの技と経験があれば今すぐ電話するのに。やります、働きます、大好きなパンと店がこれからも続いていくために何かしたい。と思うけれど、求められているのはパン職人なのであって、それは私という人間にはかすりもしない属性なのだった。
 柳月堂の継続を願う人は、当然のことながら私のほかにもたくさんいるようで、パン職人募集の張り紙のことはSNSで拡散されている。パン好きの町・京都のこと、遠からず、「やりましょう」というパン職人が現れるだろう。すでに現れているかもしれない。柳月堂はたぶん復活する。根拠のない確信だけれど、私はそう思う。

 パン職人になるにはどうしたらよいのか。パン店に販売や製造のアルバイトで入るところから始めるか、まずは専門学校で学ぶか。そういえば、パン職人志望の若者が近所のパン職人の店に弟子入りするというテレビドラマを見たこともある。何店舗も経営するパンの会社に就職するという手もある。いずれにせよ、他業種の会社員歴17年(継続中)の私が今の会社を辞めてパン職人を目指したとして、ものになるまで何年かかるか。柳月堂のためには今、たった今、パンを作る技術が必要なのに、この気持ちと現実の嚙み合わなさよ。「これをしたい」という希望と、実際に自分ができることとの噛み合わなさなど、たびたび味わって十分に知っているはずだが、何度でもそのはざまで絶望する。「これをしたい」という素直な思いのまま働くことに、私の時間と体力を使うことができたらいいのに。

 「絶望」などと言いつつ、私は毎日、元気に暮らしている。仕事をしている。家事もしている。子どもと遊んでもいる。ついでに「歌人」という活動もあって、短歌を作ったり読んだりしている。「絶望」はもはや生活に寄り添う友人のようなもので、親しげな、面白がり屋な顔をしてそばにいる。この友人と私の対話は日々続き、対話はいつも巡り巡って一つの問いへと収れんしていく。つまり、「働く」とはいったいどういうことか、と。
 例えば、生活のため、お金を得るために働く。そのために時間と体力を使う。働くことをそうシンプルに捉えれば気持ちが楽だ。何も考えずに、割り切って働けばよい。楽、だが少しむなしいのはなぜだろう。

サラリーの語源を塩と知りしより幾程かすがしく過ぎし日日はや
                 島田修二『渚の日日』(1983年)

 生活のために、お金のために就職しようと割り切った20代の頃、この歌がひどく心にしみた。この人は私と同じで、生活のため、お金のために働く、と割り切ることに釈然としなかったんだろうな、と思った。
 歌人の島田修二(1928~2004年)は読売新聞社に記者として勤めた。この歌は当時の定年より少し早い50歳で退職する頃に詠われたものだ。

 和製英語であるサラリーマンの「サラリー」=「salary」は「給料」を意味する。その「サラリー」という言葉は、元をたどれば「塩」に由来するのだと知った、それからは、いくらかすがすがしい気持ちで過ごしたその日々よ、と詠っている。確かに、英語のsalaryは、ラテン語のsalarium(サラリウム)に由来し、サラリウムは、古代ローマで軍人に支給された給料のことをいい、さらに、サラリウムの頭の「sal」は「塩」を意味する。「給料」と「塩」が遠くつながるという言葉の発見が面白い。
 では、なぜそれで「すがすがしい」気持ちになるのか。私も「サラリーの語源を塩と知りしより」のフレーズに、「あ、給料って塩なんだ」と思い、それだけで心が軽くなったのだから不思議である。おそらく、「給料」の見え方が変わるからなのだろう。
 会社員として働いていると、毎月「給料」が入ることはありがたいのだが、はたしてこれは何の対価か?とよく分からなくなることがある。会社に拘束された時間に対してか、費やした体力に対してか、すり減らした心に対してか。日々の「働き」は目に見えない。仕事が目に見える形として残れば、それを生み出したことへの対価としての給料ということで、戸惑うこともないかもしれない。だが、日々の見えない「働き」と、会社が明確な数字として示してくる「給料」とはうまく結びつかないのである。私は本当なら自分のために使えるはずの時間と体力と心を、お金のために差し出しただけではないのか……。

 釈然としない思いを「サラリーの語源を塩と知りしより」が洗う。そもそも「塩」は、根源的に人間の体に必要なものだ。「サラリー」に「塩」を見いだすとき、「給料」が人間らしく命の宿ったものに見えてくるのではないか。「塩」のように、人間に必要なもの。体を、私を生かすもの。それが「給料」。「給料」が何の対価なのかという問題はさっぱり解決しないが、それでもいい。給料は、塩のように、私を生かす。そのように見ると、会社員として働き、給料を得ることを、全肯定まではしないが、少なくとも否定せずに済む気がする。
 島田修二が、会社員として長く働き続け、退職する頃に詠い得た感慨の一首。すべての悩める給与所得者をなぐさめる、優しく、さわやかな歌である。

澤村斉美(さわむら まさみ)
1979年生まれ。歌人。塔短歌会編集委員。第52回角川短歌賞受賞。歌集に『夏鴉(なつがらす)』『galley ガレー』がある。新聞社の校閲記者として会社員歴17年。