【連載】すべてのひとに庭がひつよう 第12回|雨庭|石躍凌摩
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第12回|雨庭
梅雨の晴れ間を盗むようにして伺った月白を、掠めるようにして雨がざっと降りつけたかと思うと、すぐにまた静かになった空へふっと溜め息をもらした客人の様子を見て、雨はおきらいですか、と店主が尋ねる。それはきらいですよ。服は濡れるし、地面は泥濘むし、外に出るのがおっくうになります、と客人は答えた。
「僕はあんまりそれがなくて、雨でも関係なく出かけますね」
「本当ですか、珍しいですね」
「雨はどこも人が少ないので、むしろラッキーだって思うこともある」
聞いて私は、かねてからの連想を思いだして——、これは偏見かも知れないですけど、雨が好きな人は、おそらくは藝術も好きなのではないか、と座に問うてみた。動物として思えば、身体が濡れたり地面が泥濘むのは不快に違いないけれど、それでも雨が降れば、普段は見れない景色が見られる——たとえば雨に濡れて光っている葉っぱとか、水たまりに映る空とか、雨の降る音。そうしたことの一々に興を感じる。人が見ているようで見ていないものを見ている。あるいは常にそのように見ようとしている人はおのずから雨が好きで、そうした態度は藝術にも通じているような気がする。
そういえば、前に使っていたカメラが、雨の日に写真を撮ると油彩画みたいに映ったから、雨の日はよく散歩した、と店主が言うと、ここにひとり立証されましたね、と客人が続ける。雨の好きな人は藝術も好きだという私の連想の、念頭には三人を思い浮かべていて、そのうちのひとりが他でもない、ここの店主であった。雨は非日常ですからね、と隣でTが呟くように言った。
展示の時に雨が降ると得した気分になる、と四月のとある雨の日の二本木(*1)で、書でありながら絵にも触れるような一連の作品群をひとしきり眺めてからふっと息をついたところに、店主の呟く声が聞こえた。奥のカウンターにうながされてお茶をいただきながら、松尾さんも雨が好きなんですか、と返して、やはり藝術と関わりのある人は皆そうなのかも知れない、と連想がつながった。私は雨については好きも嫌いも半々であったが、たしかに雨の日の二本木はことさらによかった。壁の全体が土壁で、床は三和土であるためか、雨の日にはどことなく洞窟を思わせる。そうしてまたどことなく懐かしい心地にもなるのは、太古の昔に洞窟の中で雨宿りをした記憶が、遠く今に甦るからかも知れない。
その松尾さんから、ひとつ相談があると連絡があったのは、雨の日から半月ほど経った後のことだった。ちょうど画家である黒瀬正剛さんの展示がひらかれていた頃で、伺うやいなや、黒瀬さんとはこの時が初対面であったのだが、絵と庭との共通点へと話がすぐに展開した。
曰く、まずもって、思い描いた線を完璧に描くことができない。いつも思い描いた線とは少し違う、その線はだから描いてみるまではわからない。描いてみてはじめて目の前にあらわれた線に、誘われるようにして次の線を描くものの、その線もまた思い描いているものとは少し違うということの連続で、やがて完成した絵を見ても、描いたのはまぎれもなく自分なのに、自分で描いたと言い切れない部分がそこには残るのだという。
私は庭の話を聴いているのかと思った。そうしてまた、庭であつかうのはいきものであり、いきものに同じはなく、庭はつくったそばから絶え間なく変化していくことを思えば、庭とは完成のない絵ではないか。その制作に従事する見かけは違っても、画家と庭師のやっていることは案外近いのかも知れない、とそう思い、画家のつくる庭に興味を惹かれた。
絵もいいんですけど、黒瀬さんは庭はつくらないんですか、と在廊中の画家に対して、あるいは失礼にあたるかも知れない尋ね方になったのは、この春の陽気に乗じてか、冬眠から醒めたとでもいうようにあちこちで立て続けに絵の展示がひらかれていたのを、つぶさに見て行くうちにいつしか食傷気味になり、なぜ人は絵を描くのか、ひいてはなぜその手で庭をつくらないのか、所詮絵というものは人間という内輪の営みであり、どれだけ良い絵を描こうが植物も動物も知ったことではないのに、と拗ねていたのだと今にして思う。
ところが黒瀬さんも満更ではなかったのか、家に庭はあるものの、手を掛けるのはもっぱら奥さんの仕事だったそうで、絵と庭の共通するところに今しがた気付いて、庭もいいかも知れない、それがまた絵にも変化をきたすのではないか、と興味を惹かれたようだった。
そのような会話と鑑賞とをひとしきり愉しんだ後、カウンターに座るなり件の相談について松尾さんに尋ねると、二本木の庭をつくってみないかと言う。さっきまで黒瀬さんに絵もいいが庭をつくらないのかとなかばは散々な言いがかりをつけていた、そのお鉢が自分に回ってくるとは思いがけなかった。
「というのも、ここでお客さんと話していると、石躍君の話が出てくることがよくあって、その度に預かっているパンフレットを渡したりもするんだけど、二本木の前に庭があれば、これが石躍君の作品だって言えるから話が早いと思って。それに元々、この平尾村はけっこう色んな植物が生えていて、大家さんがいつも綺麗に手入れされているんだけど、二本木の前だけ空いているから、木を植えたいなとはずっと思っていて。大家さんにはもう話をつけてあるから」
「名前も二本木ですもんね」
「そうそう、本当に二本植えてもいいんだけど」
「どういう庭がいいですか?」
「ここでお客さんにお茶を出したりするから、庭から摘んだものでお茶がつくれたらいいかな。あとは二本木が見えなくなるくらい植物に覆われてても面白いなと思う。あとは石躍君のイメージで」
ここで平尾村とは、福岡市中央区平尾の、一群の古い建物の立つ場所が、周囲の次々に建てかえられては歴史を漂白していくような時代の流れから、一歩中へ踏み入ると、そこだけ隔絶されたように在りし日の面影を留めていることから、いつしか村と呼ばれるようになったらしい。
その元をたどれば、戦火にここら一帯が焼け残ったものだと、以前にこの話を松尾さんに聞いた時にはそう思っていたのだが、二本木にどのような庭をつくるか、そのイメージを広げていくためにあらためて聞いたところでは、ここに今も暮らしている大家さんの、そのお父さんが大工をされていたそうで、戦後間もなくのことで兎にも角にも住む家がひつようと立て続けに建てた家々が、時代を越えて、その間の度重なる開発の要請にも抵抗しつづけて、戦後から約八十年が経った今なおこうして残されているということだった。
今そこに、あらためて庭をつくることの意味を思わずにはいられなかった。そういう世相ということもあったが、時期を同じくして読んでいた『オーウェルの薔薇』の冒頭で、「戦争の反意語があるなら、時には庭がそれに当たるのかもしれない」と作家のレベッカ・ソルニットが書きつけた言葉に、私としても思い当たることがあったから。
数年前に微花(*2)の出版記念イベントで広島の本屋「READAN DEAT」を訪れた時のこと。夕方から予定されていたトークイベントに先立って昼頃に到着し、合わせて企画していた写真展の為に、今日撮れたものをコンビニプリントで印刷して色を添えよう、と街を散歩していると、READAN DEATのすぐ近くにあった相生橋の初めに、鬱蒼として爛漫と咲き乱れる紅白の花に惹かれた。それは夾竹桃という名の花で、微花においては夏の表紙を飾ったこともある、とても思い入れのある花だった。
READAN DEATに戻って展示の準備をしていると、たしか夾竹桃は広島の市の花だったと思う、と店主の清政さんがおしえてくれた。原爆の落とされた此処にあたらしく草木が芽生えるのは数十年かかるだろう。そう言われていた焦土に、いち早く咲いたのが夾竹桃の花だった。復興に励む市民にとって、それは希望であったという。
大抵は建物よりも壊すに造作のない庭ではあるが、それでも庭をつくるということは、その場所の未来へ続く平和を願うこと、あるいは平和を前提とすることではないだろうか。
まとまった雨の降る日を待って五月に入り、庭をつくるためのあらためての下見に二本木を訪れた。
「藝術とは、眼に見えるものを再現するのではなく、眼に見えるようにすることだ」とはパウル・クレーの言葉であったが、だとすれば、雨はそれ自体が藝術ではないだろうか、と二本木の軒先の、平生は平たいように感じていた地面に微細な起伏のあることや、眼には見えない土中の水はけの相当悪い具合が、雨の流れる様子やその溜まり方に明らかとなったのを見て思った。
折しも展示中で鑑賞者の多く訪れていた二本木であったが、その軒先で私はひとり、二本木に降りつのる雨をつくづくと眺めていた。こんなにも雨を面白く眺めたことが、それがまだ新鮮な体験であった筈の子どもの頃の覚えはないが、これまで一度でもあったかどうか、と記憶を探れば、もう十年も前になるか、先輩庭師の西田が撮影した雨の映像を思い出した。
どうしてまた雨を撮ろうと思ったのか、と尋ねると、雨があまり好きではないから、ちょっとでも好きになれたらいいなと思って、と言う。普通に生きていたら嫌いなままでも、こうやって何かの形にしようとすると、そこで見方が変わるから、と。この問答の続きであったか、また別の話だったかはもう忘れたが、度々彼から聞いたのは、科学が未知を既知に変えるものなら、藝術というのは既知を未知に変えるものだということだった。
雨なら誰でも知っている、そのかぎりにおいて雨が好きではなかった彼が、雨を映像に撮ることで、雨の未だ知らない事にひらかれて、次第にその感じ方が変わってゆく。自分が変わるだけでなく、その映像を見た人もまた、知っているつもりでいた雨の、未だ知らない事へとひらかれるかも知れない。雨が好きな人は藝術も好きだという連想の、元となったのもまた彼であった。
そうして、藝術とは何かという定義付けの、私にとっての原体験はここにあったのではないか、と今にして思う。後に彼とつくることになった微花もまた、雑草という括りでひとしなみに知ったつもりになっている道行の草たちを、名も知れない草としてつぶさに見つめてはひとつずつ名ざしていくことで、既知から未知への転換をはかる企てであったから。
そのようにして、身近に存在する植物にひらかれるままに庭師となり、二本木に庭をつくることになった私が、今あらためて雨に釘付けになっている、とそう思えば、雨ばかりでなく庭もまた藝術にあたるのではないか。だとすれば、私がこれからつくる庭は、展示の度にひらかれ、その時々で展示内容の変わる二本木の、その門前で常にひらかれている藝術の常設展だと見ることもできる。
こうして、ただ庭をつくるだけでなく、その過程において考えたことや、植栽の詳細をまとめたキャプションをつくるまでが今回の仕事だとさとった。
降り止まない雨をいつまでも眺めていると、松尾さんが外に出てきて、ちょっと話そうか、と二本木の斜向かいにある鞄のブランド「KAILI」のショールームに通される。そこで私は、雨に明らかとなったここの土地柄、特にその水はけの悪いことを話して、ここに庭をつくることによって、やがてはその周辺を含めた水はけの改善をしたいと話した。
「そういう庭のことを、雨庭と呼ぶそうで」
「雨庭?」
「さっきここに来る前に平尾村の横の水路を見てきたんですけど、すでにかなりの水量で。というのは、降った雨が地中に浸透することなしに、そのまま溝から川に流れるように都市の治水は設計されていて、今日みたいに大雨でなくても、水流はかなりのものになる。昔はもっと田畑や裸の地面があって、そこで雨水を貯めることもできたんですけど、今はどこもかしこもアスファルトで塞がれてしまって。だから最近水害が増えているというのはかならずしも雨のせいばかりじゃないんです。その処方箋として、雨水を地下に浸透してゆくような工夫を施した緑地、つまり雨庭というものがあると、ちょうど今読んでいるこの本で知って」
「ビオトープって懐かしい響きだね」
「小学校とかにありましたよね」
「ビオトープって、そもそも何なの?」
「biotopeというドイツ語らしいんですけど、語源はギリシャ語で、bioが生命、toposが場所で、直訳すれば生命の場所ということらしいです。なので庭もまたビオトープだといえる。ただこの本で扱われているのは水性の、ビオトープと聞いて僕らが最初に思い浮かべるようなものなんですけど、庭ということを考えるときに、水については案外盲点やったなと思って。二本木の庭にも、小さくでもいいからつくってみても面白いかも知れないですね。睡蓮鉢とかでもできるので」
「睡蓮鉢ならたしか倉庫にあったような——。けど、ここは蚊が多いから、それが不安かな」
「ちゃんと管理すれば蚊が湧くこともないみたいですけど、まあ、無理することもないですね。やっぱり、蚊は多いですか」
「夏になるとね、ここらへんは」
「水はけが悪い場所は藪蚊が発生しやすいそうで。今回どこまでできるかわからないですけど、庭をつくることで少しでも解消できたらいいですね」
昨年十月に二本木で展示されていた彫刻作品群に衝撃を受けて以来、いつかお会いしてみたいと思っていた彫刻家・新庄良博さんのお宅に、松尾さんとKAILIの山内さんと伺う機会があった。
石躍君、甘茶って知ってる?と、そこへ向かう車中で松尾さんにたずねられて、甘茶という名前に聞き覚えはあったものの、実際はよく知らないと言うと、新庄さんが今度つくる二本木の庭にどうかって、庭から苗を掘り出してくれてるみたいで、と松尾さんが言う。気になって調べてみると、山あじさいの変種のようで、見た目は瓜二つながら、その葉が甘いお茶になるということだった。
着いて早々、これがそう、と新庄さんが見せてくれた苗はたしかに華奢なあじさいのようで、この葉をこうして、と指ですりつぶしてから、近くにあった水甕にしゃぶしゃぶしたものを甕の縁に置く。そうして、乾かしたものがこちらに——って、3分クッキングみたいやな、と笑いながら見せてもらった葉は韓国海苔みたいだった。
これに湯をそそぐと甘いお茶になる。よく神社に植えられていて、子どもの頃は甘いものが珍しかったから喜んで飲んだものやったけど、そういえばそのまま食べたことはなかったな、とひとつ口にいれてしがみはじめる。うん、というのでそれに続いて口にいれると、これがかなり甘く、まるで砂糖そのもののようだと驚いた後から、ほのかに海藻のような風味が追いかけてくる。
これは挿木もできるからね。ほらあれも、全部挿木で増やした、と指さす方を見ると、アトリエと小屋との間の通路の、ちょうど日陰になっている辺りに連なるように生えている。新庄さんは彫刻家ということで名が通っているが、私としてはかねてから、彼の庭師性に興味を惹かれていた。
二本木の展示の時に松尾さんから聞いたところでは、ある日お庭に伺うと、木の枝が何本もわざとのように折られていて、折れ切らない枝が風に揺れている。これは何ですか、と松尾さんが尋ねると、こうして折っていると、折れ口からまた新しいのが生えてくるのだ、ということだった。
聞いて私は、風が自然にやっていることをやっているのだな、とその摂理はわかったものの、それを地でいこうとまでは到底思えなかった。
「いわいあやさんという写真家がいて、彼女が新庄さんの庭を撮った写真、多分その枝を折ってある写真も、もうすぐ始まる個展で飾られてるんじゃないかな。こないだ彼女もこの展示を見にきてくれて話を聞いたけど、庭がひとつのテーマらしいよ」
その個展で買ったいわいさんお手製の写真集が、今手元にある。新庄さんが自分で建てたという小屋に置いてある、うつわや彫刻や手書きの箴言に混じって、庭の白い何かも知れない花の近影や、柘榴の実が、一頁に一枚のレイアウトで納められている。新庄さんの横顔、庭の葉に滴る水滴の反射する光、また彫刻。そうしてさらに頁をめくった先に、おそらくは薔薇の青い枝が折られてある光景。新庄さんの、今にも喋り出しそうな生しい手、彫刻、喋り出しそうな手。そして薔薇の枝が折られているその折れ口から、光るような新芽が吹き出して、雨に濡れている。新庄さんの小柄な肖像。しかし私には、あまりにも巨きい人だった。
様々な道具や作品のひしめくアトリエをひとしきり堪能してから庭へ出ると、見覚えのある台、といっても平面は人の掌ほどしかなく、それが私の胸あたりまですっと伸びている。二本木の展示で見たものと似ていた。尋ねてみると、初めは庭を見ながら珈琲を飲むためにつくったんだけど、今ではもっぱら鳥の休憩場所になっている。いや、鳥と半々かな。それが気に入って何個かつくったのだと言う。
作品が、庭から生えている光景。ここはまぎれもない、新庄さんの庭だった。誰に頼んでもつくれる筈のない、新庄さんが生きる過程に生じた庭。その足元には紫蘇の青いのと赤いのが点描のように小気味よく散らばっていて、それらに誘われるようにして全体を経巡れば、そこかしこに薔薇と椿が所狭しと生えている。バランスが悪いと見るか、バランスという概念が存在しないと見るか、とにかく好きだから植える。好きで埋め尽くされている。聞くとそれらは、ほとんどが接木で増やされたそうだ。
接木といえば、工房の裏に柑橘を八種類呼び接ぎしたのもあるよ、と案内されて見ると、そこには私の背丈の三倍はあろうかという柑橘の木がそびえている。柚子を台木にしたそうで、八種類の内訳はもう忘れてしまったが、よく見ると、枝についている葉の大きさがそれぞれ少しずつ違うのがわかる。だけど柚子を台木にしたせいか、甘い種類である筈の実まで、ちょっと酸っぱいのだと笑っていた。
二本木の展示の時にも、新庄さんがお寺の貴重な梅か桜かの接木を一手に引き受けているというような話を聞いて、植物を接木したいと思ったことが一度もなかった私は、それは果たしてどういう気持なのだろうと不思議に思っていたのだが、新庄さんのアトリエに伺う前に立ち寄った九州芸文館で、「新庄さんの部屋」と題された彼所蔵の品物の数々を見て、はじめて腑に落ちるものがあった。
これはうつくしいと思って手にとった陶器のお椀を、回して眺めてみると裏側は大胆に金で継いである。全体の三分の一ほどが金で、聞くと木で継いで漆と金とで仕上げたのだと言う。そうして気付いてみると、うつわだけでなく、楽器やなんかも初めから半分欠けたようなのを引き受けて、別のもので継いであり、何事もなかったかのように静まっている。
こうした物への接し方が、庭の植物にもそのまま反映しているのだろうな、と私は思った。何かに手を掛けることへの恐れがないというのか、あるいはその恐れを踏まえて手を掛けることの愉悦ということか。庭師もまた側から眺めてみれば、簡単に木を切ってよくも平然としているものだ、と思われていてもおかしくない、と我が身を振り返った。
旅の余韻も冷めやらぬままに、米袋で根元を丁寧に養生して貰った甘茶の苗を、帰ったその足で二本木まで運び、庭となる予定の場所に穴を掘って、その土の感触を触ったり嗅いだりして確かめながら、周りに少し土を盛るように水鉢をつくって仮植えをした。途端にそこが庭になったのを見て、込み上げるものがあった。それがただの甘茶でなく、新庄さんの庭からやってきた甘茶であるところに、実に二本木らしい庭のはじまりを見た。
甘茶を仮植えしてから半月後の六月初めに、植栽の下地づくりをした。なるべくそこにある土を使って、またなるべく耕さずに進めたかったので、NPO法人地球守代表の高田宏臣さんのされている「落ち葉を使った畑のつくり方」(*4)を参考にした。
まず初めに、これからつくる畝の輪郭線を引いてから、辺り全体に炭と落ち葉を敷き詰めて——炭はもみ殻燻炭をホームセンターで買い、落ち葉は月に一度手入れに伺っている游仙菴の堆肥場に溜めておいたものから、分解途中の粗腐葉土を選って拝借してきた——、そこにマイナスドライバーで何箇所も穴を開けては、つど炭と落ち葉を詰めていく。松尾さんも近くに落ちていたらしい鉄錆の棒を拾ってきて、共にいくつもの穴を開けた。
ひとしきり穴を開けてから、次に畝の輪郭に沿って溝を掘っていくと、表層の約30センチ下はひとしなみに赤い粘土層で、手に取るとそのまま土器がつくれそうな触感だった。どうりで水はけの悪いことだ、と二本木の中で別の作業をしていた松尾さんを呼んで見てもらうと、これは使えそう、と粘土をひと抱えほど袋に仕舞ってから、弥生土器を探すためにここの裏の地面を掘った時にも、同じような粘土が出てきたと言う。
「弥生土器を探してたんですか?」
「そう、欲しいなと思って。福岡とか、掘ったら絶対に出てくるだろうと。ところがどこを見渡しても、掘っていい地面がないことにそこで気付いて、一時は諦めてたんだけど、二本木をつくるときに、やっと掘ってもいい場所が見つかったと思って、その時は1メートルくらい掘ったかな。まぁ、見つからなかったんだけど、その時に出た粘土を使って自分で土器をつくれたから、結果オーライだった」
溝を掘り終えて出た土の、使える分だけを選り分けて畝らしく盛る。高田さんによれば、こうして地形に高低差が生まれることで、水と空気の流れが生じるということだった。この流れにさらに拍車をかけるために、畝の三隅に溝からさらに深い60センチほどの縦穴を開けたところで初日の作業を仕舞い、あらためて植栽を考えるために午後からは平尾村の植生を調査した。
そうして受けた印象は、広さにくらべて種数は41種と存外に少なく、二本木の庭は小さいながらも存分に、平尾村の植生を豊かにできるのではないかということだった。ただここだけが浮いたような庭にするつもりもなかったので、私が確認した以下の植物のうち、ドクダミ、タマシダ、ユキノシタは平尾村らしさとして、二本木の新しい庭にも移植しようと決めた。
木本
ウメ、オリーブ、カエデ、カキノキ、ガクアジサイ、クロマツ、クワ、サザンカ、サルスベリ、サンショウ、セイヨウアジサイ、セイヨウキヅタ、ソメイヨシノ、ツバキ、ナンテン、ニワウルシ、ハクモクレン、ハゴロモジャスミン、ヒサカキ、ビワ、ユーカリ、リキュウバイ
草本
ウラジロチチコグサ、オッタチカタバミ、オニタビラコ、カニクサ、コエビソウ、コニシキソウ、シャコバサボテン、シソ、シラン、タマシダ、タマリュウ、ツワブキ、トクサ、ドクダミ、ヒメヒオウギズイセン、ミズヒキ、ミニトマト、ミョウガ、ムラサキカタバミ
翌日の午前に剪定仕事を終えてから、そこで出た幹枝を二本木まで運び入れて、松尾さんと昨日掘った溝に敷き詰めていく。綺麗に整頓してというよりは、柵をつくるようにしていく。綺麗に、と考えるのは、平尾村の横を通る水を流すことしか考えていない水路の思想であって、庭の思想ではなかった。
枝が足りなくなったので、少し離れた駐車場まで追加分を取りに行ってから現場に戻ると、曲線を描いている溝の、左端からはじめた私のしがらみにくらべて、右端からはじめた松尾さんのしがらみの、その出来栄えのあまりの良さに驚いた。松尾さんのしがらみは、いかにも自然なそれだった。
「松尾さんのしがらみ、めっちゃ上手いですね」
「そうなのかな。自分ではよくわからないけど、これは子どもの頃に落とし穴をつくったのと同じやり方だなあと思って、懐かしくなった」
「落とし穴つくってたんですか?」
「そうそう、まず穴を掘って、そこに太い枝から順々に細いのを積んで、それから仕上げに葉っぱをかぶせるのとか、落とし穴そのもの。最後はバレないよう土でカモフラージュして」
「そう言われてみると、庭仕事って子どもの遊びに近いんですよね。穴掘りもそうですし、木登りは日常茶飯事なので。今日もネズミモチの木に登って剪定してきたんですけど、子どもなら早く降りてきなさいって注意されそうなことが、庭師となると立派な仕事になる。前々から、子どもの頃の記憶の薄いことが、自分としてはコンプレックスだったんですけど、この仕事をするなかで子どもを生き直しているような気持になることがあって、だから続いているのかも知れないです」
「春はここの裏の水路沿いに桜が咲くんです。夏にはほら、そこに紫陽花が咲いていて。そして秋には金木犀が香るんですね。またひとつたのしみが増えました。」
下地づくりから一週間後に、久留米から仕入れてきたばかりの金木犀、黒文字、ローズゼラニウムを仮植えしたところでその日の仕事の仕舞いとし、二本木の目の前にある「Manly Coffee」で、アイスのエチオピアを頼んでから抽出するその束の間に、スタッフの方からそう言われて、おのずと互いに「冬には、」と口をついて出た。事前にこの村の植生を確認してから植栽を考えた筈が、村全体としての季節のうつろいまでは想像しきれていなかったことにそこで気付いて、冬の宿題にすることにした。
もっとも金木犀は、二本木の向かって左側の窓を覆い隠したいということから、冬にも葉の落ちない常緑樹として選んだのであったが、冬に特異点を迎える植物ではなかった。
数ある常緑樹の中でも金木犀を選んだのは、あるとき書店で見かけた植栽にまつわる本の中に、中国の杭州では金木犀を見ながら桂花茶を飲むのを花見とする、という記述に出合い、庭のテーマであった茶と結びついて、ここで杭州的な花見をしたいと思い、またそれに重ねて、先に書いた写真家のいわいあやさんの個展に合わせてひらかれた「COFFEE COUNTY」の森さんと「菓子 瑞」の美帆さんによるユニット「nisou」の席で、森さんが出されていたのがドリッパーに挽いた珈琲豆と金木犀の花を入れて抽出したものを急冷した浅煎りのアイスコーヒーで、これがとても美味しく、そのままとはいかないまでも、金木犀が咲いたらその花をManly Coffeeさんの淹れるコーヒーに浮かべて、平尾村の花見としてもいいだろうという連想からだった。
翌々日に残りの植栽を施して、6月13日時点で庭の植生は次の17種となった。植物屋さんで仕入れたものもあれば、月一で管理を任されている佐賀は三瀬の山あいの、元は棚田であった広大な庭からの表土の移植も含まれている。
見ての通り、そのほとんどがお茶になるか、お茶うけになる。それから蚊が多いということだったので、ローズゼラニウムは戸口近くに植えて虫除けに、ヨモギは乾かして焚けば虫除けに、ヘビイチゴやドクダミはチンキにして虫刺されのくすりになることから選ぶことにした。
木本
アマチャ、キンモクセイ、クロモジ、ジューンベリー、ローズマリー
草本
アイ、イブキジャコウソウ、カキドオシ、カズサヨモギ、ゲンノショウコ、シロツメクサ、ドクダミ、ヘビイチゴ、ヤブラン、リュウノヒゲ、レモングラス、ローズゼラニウム
二本木の庭のキャプションのデザインは、素晴らしいデザイナーでもある先輩庭師の西田に頼もうと電話をかけると、ちょうど俺も頼みたい仕事があって、と九月に豊岡にオープンするカフェの植栽に誘われ、互いに見ていた予算が近く、その場で交換が成立し、二本木の庭を施工した翌週には豊岡にいた。
庭師とは、庭から庭へと移動する観光客のような仕事ではないだろうか。それも通り過ぎて二度とは帰らないのではなく、度々そこを訪れるような、各地に自分の帰る場所を持つ仕事だといえる。
この豊岡への出張に先立って、私はいわいさんの個展で庭の写真を見てからずっと気になっていた、京都の「花辺」という喫茶を併設したハーブのお店を訪ねていた。ちょうどそこでもいわいさんの展示がひらかれていて、その写真の額装は松尾さんが手がけたとのことだった。
喫茶店内の展示スペースでひとり写真を見ていると、なにやらとても賑やかで、京都の中心部でもなければ平日にも関わらず、今朝方ひどく降りしきるようだった雨にも負けず、人気なお店なのだと思っていたら、店主らしき人が私の方へやってきて、きょうはここの三周年の日で、これからケーキを食べてみんなでお祝いするんですけど、よかったらご一緒にどうですか、と言うので、ありがたく呼ばれることにして、その祝祭の空気に包まれながらケーキをほおばり、いわいさんの写真を心ゆくまで眺めた。
それから隣にあるハーブショップの扉を開けると、先ほどの店主らしき人が、やはりここの店主の青木幸枝さんだとわかって、調香師をされている彼女と、観賞ばかりでない植物との付き合い方、植物に助けられながら生きていく在り方を伺い、それがそのまま形になったような様々なハーブの咲き乱れる庭を窓辺から眺めながら、そうした人のありようのことを花辺というのかも知れない、と、実際にはここの元の持ち主が田辺さんであった所からの連想だったそうだが、とにかく素敵な名前だと思った。
帰り際にあらためて庭を散策していると、いいところに来たね、ちょうどさっき庭師さんが来ていて、と植栽を挟んだ向こう側から青木さんの声がして、振り向くとそこに背の高い人影が見えたので、誰かと思えば、彼は花辺の庭をつくられた張本人で、Yさんというの、彼は庭師でありながら、中国茶も淹れる茶人でもあるんですよ、と紹介された。
「ところで、きょうは何しに来られたの?」
「レモングラスを摘みに来ました。」
「何かつくるの?」
「輪ヶ族でつくっていた飲み物に使おうと思って」
輪ヶ族というのは、かつて存在していた架空の民族のことらしく、その生活の中で使われていたであろう道具などを、様々な分野の作家が集って想像でつくったものの展覧会が、四年に一度ひらかれるのだという。
Yさんはそこに庭師として参加しており、輪ヶ族がかつて飲んでいたであろう輪飲、つまりレモングラスを輪っかにして湯をそそいだものを昨年の展示で振舞ったそうで、それが好評で新しく注文が入ったのだと言う。大人が本気で遊ぶとこういう風になるのだと、Yさんのありように私はたちまち惹きつけられた。
「色々やっていると、気付けばそれが仕事になるから」
「自分も庭師をやっているのは、庭師と言っておけば色々なことに手が出せるんじゃないかと思って。そのための足場というか」
「僕にとっても庭師はひとつの足場のようなもので、それを足場として経験したことが、いずれまたすべて庭に繋がるから。何でも気になったものはやってみるといいよ」
「Yさんが庭師になったきっかけは何だったんですか?」
「消去法かな。まず人と接するのが苦手だったのと、どちらかといえば身体を動かす仕事がいいなと思って、なんとなく始めたのが今に続いている。二十歳の頃にはじめて今四十七だから、もう二十七年になる」
ということは、私が三十になるので、Yさんは私の人生のすべてと変わらない時間を庭師として生きてきたことになる。そうして、庭師と一口に言ってもそのありようは様々だが、彼は私の理想の庭師像を体現していた。そこで失礼も承知で、Yさんのつくった庭で今見に行ける場所がないかと尋ねると、ちょうど近くにひとつあって、これから様子を見に行くところだったから、とそのまま車で連れて行ってもらった。
車中で聞いたところでは、そこは古くからある洋館で、建築が好きな方の別荘であるらしく、Yさんが庭をつくられてからは、定期的に管理も請け負っているという。
車を前に停めて玄関をくぐると、長いアプローチの両側から、雨に濡れたギボウシの葉が歩く足にこすれる。その前を歩きながら、施主さんはギボウシが好きなので、とYさんがつぶやく。
アプローチを抜けると、世間の喧騒からも抜け出たように辺りは静まって、そこには青葉の楓や桜に縁取られた緑陰の庭が広がっていた。さらに奥の縁側まで来たところで、一面の草木の陰翳を前に、Yさんは普段どのように庭をつくられているのか、と尋ねてみた。
「施主さんと話を重ねていくなかで、なるべくその人の嗜好を探っていくかな。まずは植物の好き嫌いがあるかどうかを尋ねてみる。けれど、植物に詳しくない人も多いから、そういう時は出身地を聞くと、案外その人の嗜好が分かることがある」
「出身地ですか?」
「たとえば施主さんが関西の出身なら、楠など広葉樹に親しみを覚えやすい。もっと北の方であれば針葉樹の風景に、というように。可能なら検索にもかけて、そこから植生を辿ったりすることもある」
「そういえば、以前に長野に行ったことがあるんですけど、その時見た風景には驚きました。関西と全然違ったので」
「長野もいいよね。あの高い山々が重なる感じ」
「ただそこまでは思い至らなかったです」
「他にも、たとえばその人が好きな絵を尋ねてみる。そこで水彩が好きだと答えたら、庭に植える植物も、どちらかというと淡くて繊細な感じが好きだろうとか、逆に油彩と答えたら、厚みがあって色合いも華やかな植物が好きかな、と絞っていく」
聞いて私は、先日ひと段落したばかりの二本木の庭を思い出した。あの時、どのような庭がいいかと松尾さんに尋ねた時に、あわせてどのような絵が好きかと尋ねてもいたら、庭のありようはまた違ったものになったのではないか。そうしてにわかに、つくり得たかも知れない別の庭が、すでにつくられた庭と同等の重みを持ちはじめるのを感じた。
それは後悔というわけではけっしてなかった、と今この会話を振り返って思う。それはむしろ、これからつくる新しい庭への予感に近かった。そうしてまた、出身地や好きな絵を尋ねるという、とくべつ他愛もない会話でさえも庭づくりのうちに入るなら、私たちが生きることの実に多くが、まだ見ぬ新しい庭への手さぐりではないか。
ひと段落ついてからちょうどひと月が経った頃に、追加の植栽と、マルチのやりかえのために二本木を訪れた。
「最近はどう?」
「最近は、雨が気になってます」
「ああ、物凄い降ったもんね」
梅雨がようやく明けようとするところだった。そうして、二週間ほど前に起こった筑後川の氾濫が、まだ記憶に新しかった。これから二本木の庭のキャプションをつくるうえで、それは小さい庭ではあるものの、雨庭という意識もそこにある以上、川や流域について触れないわけにはいかないだろう。むしろ、小さくてもなおひとつの庭をつくることは、それを含めた自然の大きな摂理への、絶えざる留意となりはしないか。
「松尾さんはどうされてました?」
「最近は三瀬の近くの滝を見に行って、そこで絵を描いたりしたかな」
「いいですね。絵って道楽なんですね」
「道楽だね。それから、観察でもある。絵を描いたものは忘れないからね。まぁ僕の描く絵は、もっぱら内側の観察だけど」
「内観ですね」
「そうそう。けど本当に絵はいいよ。石躍君なら、植物とか描くのもいいと思う」
「それを聞いて、今無性に絵が描きたくなってきました」
「それから、最近また家と土地を探しはじめてるんだけど、うまく見つかれば、そこで植物を育てたいんだよね。それを今つくっている素焼きの鉢と合わせて、販売もしたい。って、いよいよ親父に近付く」
「そうか、お祖父ちゃんかと思ってました。お父さんでしたか」
「そう、親父が庭師で」
「松尾さんもついに——ということで、そろそろやりましょうか。今日持ってきたのが、ミツバと、ヒメツルソバと、それからこのホワイトセージで」
「これって——」
「乾かして焚くと、空気が浄化されるんです。松尾さんはなんとなく焚くのが好きかなと思って」
「やっぱりそうだよね、ちょっと待ってて」
と二本木の奥で何やらごそごそしはじめたかと思うと、これじゃない、と差し出されたのは、ホワイトセージを束ねたスマッジだった。
「まさに、これです。ネイティブ・アメリカンは儀式でこれを使うみたいで」
「そうなんだ。最近はこれがないと絵が描けないんだよね。ちょうど平尾村のあそこの、Moonlightgearで売ってて。これが自給できるのは嬉しいなあ」
木本
アマチャ、キンモクセイ、クロモジ、ジューンベリー、ホワイトセージ、メドウセージ、モッコウバラ、ローズマリー
草本
アイ、イブキジャコウソウ、カキドオシ、カズサヨモギ、ゲンノショウコ、シロツメクサ、ドクダミ、ヒメツルソバ、ヘビイチゴ、ミツバ、ヤブラン、リュウノヒゲ、レモングラス、ローズゼラニウム
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