電子書籍への移行期
世界最古の文学といえばギルガメシュ叙事詩だが、これは粘土板に書かれていた。近代から現代においては紙媒体だが、現在、特にここ10年くらいでは、急速に電子媒体への移行が進んでいるように思われる。どうして移行するのかというと、それはやはり粘土板よりも紙媒体の方が取り回しがいいわけで、粘土板の威厳も惜しまれた時期があっただろうけど、結局は合理性が優先されたからじゃないかと思う。なにしろ、一番重要なのは作られた文章を読み手に届けることだからだ。
いま、紙媒体で記述されたものはまさしく粘土板の立ち位置にあるわけで、オブジェとしての存在感や、質感などの特別な価値はあるものの、そんな違いをどれだけ強調して維持を図ろうとしたところで、やはり惜しまれつつも、移行は進んで、やがて骨董的な価値でしかなくなる時代が来るだろうと思う。
小説読むのが趣味だとかいうと、なにやら堅苦しく、知的な趣味だなと、適当にあしらわれてしまうことが、多いのだが、黎明期なんかは、いまでいう漫画みたいな位置づけだったんじゃないだろうか? これも時代による価値観の変化なのだと思われる。
ネット上にある雑多な文章も、かつては、整理がなされていないもので、読み手が情報を選ばなくてはならない、不確実で価値の低いものだと言われていた時期があった。しかし、大半の人がネット上から情報を得るようになってきた現在においては、情報の整理、位置付けや、価値の序列化を行う人や機関が現れて、そのための仕組みも充実した。それに、日常的にネットを利用することが常識になると、読み手の情報選択スキルも鍛え抜かれて高くなってくるから、それが大きな問題にもならなくなってくる。
かつて、出版社の役割は、提供するものを選別し、クォリティの高い情報を読み手に届けるというものであったが、現在ではかつて紙媒体であったものを電子媒体にして出すようになってきたし、媒体部分については、すでにデータの世界に取り込まれつつあると見る。
そうなると、出版社の機能というものは、ある種の権威化装置としての部分しか残らなくなるわけであるが、未来において、その位置づけを維持できるのか、そして、公に向けて書かれたものについても、その価値を保てるのかは不明だ。今はまさに五里霧中、暗中模索の真っただ中といった様相だ。