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【科学者#086】アインシュタインにノーベル賞を受けるに値すると言わせた科学者【ルイ・ド・ブロイ】
今まで紹介した科学者の中には、貴族出身の人は何人かいるのですが、例えば第23回目で紹介したヘンリー・キャヴェンディッシュも、そのひとりになります。
キャヴェンディッシュは謎が多い科学者なのですが、第76回目で紹介したジャン=バティスト・ビオは「キャヴェンディッシュは科学者の中で一番の金持ちであり、金持ちの中で最も偉大な科学者」と言っていました。
そんなキャヴェンディッシュと同じように貴族出身で、名門貴族ブロイ家の直系だった科学者がいます。
今回は、アインシュタインにノーベル賞を受けるに値すると言わせた科学者であるルイ・ド・ブロイを紹介します。
ルイ・ド・ブロイ
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名前:ルイ・ド・ブロイ
(Louis de Broglie)
出身:フランス
職業:理論物理学者
生誕:1892年8月15日
没年:1987年3月19日(94歳)
業績について
ド・ブロイの業績としては、ド・ブロイ波があります。
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これは、運動する物質における波動現象のことで、当時粒子と考えられていた電子も波の性質を持つという考えを1924年に提唱しました。
ちなみに、第57回目で紹介したエルヴィン・シュレーディンガーは、このド・ブロイ波の考え方を発展させシュレーディンガー方程式を導き出しました。
生涯について
ド・ブロイは、ルイ14世によって爵位を授けられたブロイ家の直系の子孫でした。
ブロイ公爵の中には、フランス軍元帥を3人、フランス学士院会員を複数人輩出しています。
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そして、父親は第5代当主であるヴィクトル・ド・ブロイ公爵になります。
成長したド・ブロイは、リセ・ジャンソン・ド・サイルリーで学び、1909年に中等教育を終了します。
その後は大学で学びたいと思い、ソルボンヌ大学に入学をします。
はじめは歴史を専攻して、外交官としてのキャリアを積むつもりだったので、18歳で文系を卒業します。
実はこの頃に17歳年上の兄で軍人で物理学者であった、モーリス・ド・ブロイの影響もあり、数学と物理学に興味を持ち始めます。
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そのため、理論物理学の学位を取得するために勉強し、1913年には科学系の学位を取得します。
1914年7月28日には、第一次世界大戦が勃発します。
ド・ブロイは軍に入り、無線電信部門に所属し、エッフェル塔に配属されます。
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そして、余暇のすべては技術的な問題を考えることに費やします。
戦後は自宅に実験室をつくり、兄と共に研究を行います。
1920年代のはじめには博士号を取得するために動き始めて、ソルボンヌ大学で物理学を学んだあとに、1924年には物理学の博士号を取得します。
ちなみに、この博士論文にド・ブロイ波と呼ばれる仮説を提唱します。
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実は論文を提出したとき、それを見た教授たちは論文の内容を完全に理解できませんでした。
そのため、教授のひとりがアルベルト・アインシュタインに論文を見せたところ、「この青年は博士号よりノーベル賞を受けるに値する」と言います。
実際1927年に、ド・ブロイ波の理論は電子回折を観察する実験によって検証され、アインシュタインが言った5年後の1929年にド・ブロイはノーベル物理学賞を受賞します。
1926年にはソルボンヌ大学に残り、教えるようになります。
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1928年にはアンリ・ポアンカレ研究所の理論物理学教授となり、1932年にはソルボンヌ大学で理論物理学教授も務めることになります。
1933年には科学アカデミーに選出され、1938年にはマックス・プランク・メダルが授与されます。
1942年には、数理科学の事務次官に就任します。
1944年には経度局に勤め、さらにアカデミー・フランセーズの会員になります。
1945年にはフランス原子力委員会の顧問に就任します。
1952年にはユネスコからカリンガ賞を受賞し、1956年にはフランス国立科学研究センターから金メダルが授与されます。
1960年には兄が亡くなり、兄の子どもも亡くなっていたので公爵家の当主を継ぎます。
1975年には、ヘルムホルツ・メダルを受賞します。
ド・ブロイという科学者
ド・ブロイは、今まで紹介したもの以外にも勲章も受章しています。
例えば、レジオンドヌール勲章のグランクロワや、ベルギーではレオポルド2世勲章のオフィシエを受章しています。
この他に、ワルシャワ大学、ブカレスト大学、アテネ大学、ローザンヌ大学、ケベック大学、ブリュッセル大学から名誉博士号が授与されています。
ド・ブロイは公爵家に生まれ、はじめは外交官になろうとしますが、途中から物理学者だった兄の影響もあり、科学の道を進んでいきます。
そして、博士論文でその才能を発揮し、アインシュタインからノーベル賞に値するという言葉までもらいます。
その後、様々な賞を受賞し、さらに重要な役職に就き活躍します。
今回は、アインシュタインにノーベル賞を受けるに値すると言わせた科学者であるルイ・ド・ブロイを紹介しました。
この記事で少しでもド・ブロイについて興味を持っていただけると嬉しく思います。