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【科学者#049】宇宙に魅せられ不眠不休で天体観測を続けた科学者【エドウィン・ハッブル】
天体望遠鏡がまだ発明されていなかった時代に、肉眼で天体を観測した科学者として第1回目ではティコ・ブラーエを紹介しました。
その後天体望遠鏡が発明され、様々な科学者が天体望遠鏡により多くの発見をしました。
そんな望遠鏡をのぞいてみる宇宙に魅かれ一晩中夜空を眺めて偉大な発見をした科学者がいます。
今回は、宇宙に魅せられ不眠不休で天体観測を続けた科学者であるエドウィン・ハッブルを紹介します。
エドウィン・ハッブル
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名前:エドウィン・パウエル・ハッブル(Edwin Powell Hubble)
出身:アメリカ
職業:天文学者
生誕:1889年11月20日
没年:1953年9月28日(63歳)
業績について
ハッブルの業績として有名なのが、ハッブルの法則になります。
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この法則は、
①10メガパーセク以上離れた位置に観測される天体には、地球との相対速度 と解釈される赤方偏移が見られる。
②このドップラー効果から計算される、様々な銀河の地球からの後退速度は、数百メガパーセク程度の銀河までは地球からの距離にほぼ比例する。
というものになります。
この法則の発見により、宇宙は膨張しているという説をより有力にします。
ハッブルは1929年にこの法則を発表したのですが、もともとは1922年にアレクサンドル・フリードマン(1888-1925)によって一般相対性理論の式から導き出しています。
そのため、現在ではこの法則はハッブル=ルメートルの法則と呼ばれています。
生涯について
ハッブルはアメリカのミズーリ州出身で、9人兄弟の次男として誕生します。
子供の頃は成績がよく、特に理系の科目ができ、スポーツも得意でした。
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さらに、好奇心旺盛で冒険好きで、本を読むのが好きだったのですが、特に冒険小説を好んで読んでいました。
7歳のときには、母方の祖父であるウィリアム・ジェームズ博士が裏庭においた望遠鏡で星を見ます。
そして、初夏の夜のほとんどの時間を望遠鏡を見て過ごします。
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8歳の頃には、誕生日に何が欲しいかと尋ねられた時に、ハッブルは「一晩中、望遠鏡をのぞいていたい」と答えます。
大人たちは11月だったので寒すぎて朝までは居られないと考えていたのですが、ハッブルは夜が明けるまで望遠鏡から離れませんでした。
12月の頃には、火星における生命の可能性についてを書き、手紙で祖父であるウィリアム・ジェームズ博士に送ります。
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祖父は面白がってミズーリ州のスプリングフィールドにある新聞社にハッブルの手紙を送り、それが掲載されます。
高校卒業後は、成績が優秀だったハッブルにシカゴ大学の奨学金が授与されます。
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ちなみに、この頃のハッブルは188㎝のイケメンの若者で、趣味としてボクシング部に入っていて、数学と天文学に熱心な好青年でした。
その後は、父の希望により法律を学び、弁護士の試験に合格するのですが、気が変わって高校教師になります。
しかし、紆余曲折あり天文学が天職だと気付き、25歳のときにシカゴ大学の大学院に戻ります。
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天文学者のジョージ・ヘールは、ハッブルが学部生時代から優秀さに注目し、当時最大の口径の反射望遠鏡があるウィルソン山天文台をスタートするときに、ハッブルに研究員として招くという手紙を書きます。
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しかし、愛国心が強かったハッブルはこの申し出を断って第一次世界大戦に従軍してヨーロッパへ行くことになります。
そして1919年に、無事に帰国したハッブルは、ヘールに連絡をしてウィルソン山天文台の研究員になります。
天文台では、共同研究はしていなかったのでデータはすべて自分で取ることになります。
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大型の望遠鏡は時間が割り当てられているので、それ以外の時間は小さな望遠鏡で観測して星の写真を撮っていました。
そのため、19時間不眠不休で観測を3日間ということもありました。
天文台では、ハッブルは勤勉に働き、観測は人並外れていて、さらに几帳面で直感が鋭かったと言われています。
ハッブルは、時間経過を追って撮影された写真を並べて比較し、そこから意味のある結論を引き出していきました。
そして、1923年までに銀河系の外に別の銀河があることを発見します。
1924年の34歳のときに結婚し、同じ年の秋には銀河系の外に別の銀河があることを発表し、一躍時の人となります。
1929年には、ハッブルの法則を発見します。
1931年には、アルベルト・アインシュタイン夫妻を招きます。
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これはアインシュタインが発見した相対性理論の正しさを、ハッブルが観測から検証して正しいことを証明したという繋がりによるものになります。
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1945年8月6日に広島に原爆が投下されたのち、ハッブルは「すべての核兵器を廃棄し、一切の核実験を中止すべきだ」と主張します。
1948年には、パロマー山天文台に口径200インチの反射望遠鏡が完成し、ハッブルはウィルソン山パロマー山天文台研究委員長となります。
1949年にはハッブルは最初の心臓発作にみまわれ、1953年の63歳のときに何度目かの心臓発作で亡くなります。
ハッブルという科学者
ハッブルはマス釣りが大好きで、コロラドの自然の中で釣りをしている時が研究上の思索をめぐらすのに最高の瞬間だと語っています。
さらに、ハッブルは多くの有名人と付き合いがありました。
ロシアの作曲家であるイーゴリ・ストラヴィンスキー(1882-1971)夫妻、
ベストセラー作家であるアニタ・ルース(1888ー1981)、
俳優のチャールズ・チャップリン(1889-1977)、
俳優のゲイリー・クーパー(1901-1961)、
イギリスの動物学者であるジュリアン・ハクスリー、
アニメーターであるウォルト・ディズニー、
政治家であるアンソニー・イーデン
などが友人としていました。
小さい頃から宇宙の不思議に見せられ、天体望遠鏡で観測をし続けたハッブルは、観測により偉大な発見をしました。
今回は、宇宙に魅せられ不眠不休で天体観測を続けた科学者であるエドウィン・ハッブルを紹介しました。
この記事で少しでもハッブルについて興味を持っていただけたのなら嬉しく思います。