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【科学者#091】アルコール中毒になりながらも数学研究に没頭した科学者【ウィリアム・ローワン・ハミルトン】
科学者の中には結婚により、偉大な業績を残すきっかけになることもあります。
例えば第15回目で紹介したヨハネス・ヘヴェリウスは、最初に結婚した妻とはうまくいっていなかったのですが、2回目に結婚した37歳年下の妻はヘヴェリウスの研究を手伝ってくれました。
このように結婚することにより自分の研究も良い方向へ向かうこともあれば、悪い方向へ向かうこともあります。
今回は、アルコール中毒になりながらも数学研究に没頭した科学者であるウィリアム・ローワン・ハミルトンを紹介します。
ウィリアム・ローワン・ハミルトン
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名前:ウィリアム・ローワン・ハミルトン
(William Rowan Hamilton)
出身:アイルランド
職業:数学者・物理学者・天文学者
生誕:1805年8月4日
没年:1865年9月2日(60歳)
業績について
ハミルトンの業績としては、解析力学のひとつであるハミルトン力学があります。
そもそも解析力学とはニュートン力学をより一般化したもので、一般座標系に対して成り立つ運動方程式によって記述されるものになります。
第29回目で紹介したジョゼフ=ルイ・ラグランジュやハミルトンによって基礎が確立されました。
ハミルトン力学は、ラグランジュ力学からルジャンドル変換で移行することにより得られます。
はじめは、ニュートン力学の分野において成立したものだったのですが、その後幅広い分野に応用されます。
生涯について
ハミルトンの父親は法律関係の仕事をしており、家をあけることが多かったのでハミルトンに勉強を教える時間はありませんでした。
さらに父親は大学に行っていなかったので、ハミルトンの才能は母親譲りだったのではないかと言われています。
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5歳までには、牧師の叔父であるジェームズから、ラテン語、ギリシア語、ヘブライ語を学びます。
12歳の時には、アメリカ人で驚異的な暗記力を持っていた少年と出会い、2人は算術の能力を競い合います。
ハミルトンはこの少年に負けたことで、数学に興味を持ち始めます。
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13歳の時には数学の勉強を始め、アレクシス・クレローの代数学を勉強します。
ちなみに、ハミルトンはこの頃にはフランス語も堪能になっていました。
15歳の時には、アイザック・ニュートンや第39回目で紹介したピエール=シモン・ラプラス、第29回目で紹介したジョゼフ=ルイ・ラグランジュの作品を学び始めます。
1822年の16歳の時にはラプラスの誤りを発見し、専門家たちを驚かせます。
18歳の時には、ダブリンのトリニティ・カレッジに入学します。
1824年には、叔父のジェームズがダブリンの北側に位置するサマーヒルにハミルトンを連れていき、ディズニー家を訪ねます。
そして、そこでキャサリンという女性と出会い恋に落ちるのですが、まだ学生だったため結婚を申し込むことができませんでした。
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1825年2月には、キャサリンの母親から15歳年上の聖職者と結婚することを聞きます。
このことにハミルトンは取り乱し、さらに精神的な病気になり、一時は自殺を考えます。
1827年の21歳の時には、学部生だったハミルトンはトリニティ・カレッジの天文学の教授に任命されます。
しかし、ハミルトンに天体観測の経験がなかったため、このことは大きな論争を引き起こしてします。
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1831年頃には、ヘレン・マリア・ベイリーと結婚し、1834年には長男が誕生します。
1835年にはナイトに叙され、さらに次男が誕生します。
1837年には長女が誕生するのですが、妻が子供を残してハミルトンのもとを出ていってしまいます。
ハミルトンは、うつ病になりアルコールの問題を抱えるようになります。
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1842年には、妻が戻ってきます。
1845年にはアルコール依存症が悪化するのですが、ちょうどその頃にトーマス・ディズニーが天文台にキャサリンを連れてきます。
このことに、ハミルトンは動揺してしまいます。
1847年には叔父のジェームズが亡くなり、さらに同僚のジェームズ・マッカラーが自殺してしまいます。
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1848年にはキャサリンがハミルトンに手紙を書き始め、この手紙のやり取りは6週間続きます。
しかし、キャサリンはこの手紙のやり取りに対して罪悪感に苛まれて、最後には夫に告白してしまいます。
このとこで、ハミルトンはキャサリンの夫に二度と連絡を取らないと伝えます。
しかし、キャサリンからもう一度ハミルトンへ手紙を書くのですが、キャサリンは後悔し自殺をはかるのですが失敗に終わります。
その後、ハミルトンはキャサリンへの手紙を彼女の親戚を通して送り続けます。
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その後ハミルトンは、さらにアルコールに溺れるようになり、自分の仕事に没頭していきます。
そして、キャサリンの息子が研究奨学金の試験を受ける時には手助けをします。
これは、キャサリンの夫が出来ない方法で息子を助けることで、復讐しようと考えての行動だと言われています。
ハミルトンという科学者
ハミルトンは才能にあふれ、若い時は身体的にも、精神的にも明るく元気で、社交界でも人気を集めていました。
しかし結婚したのち、アルコールに溺れるようになり、肉体的にも精神的にも荒れていきます。
そして、晩年は暴飲暴食による痛風に苦しんだ末に亡くなってしまいます。
遺体が発見されたとき、ハミルトンの部屋は酒と肉汁にまみれた二百数十冊のノートで埋め尽くされていたと言われています。
今回は、アルコール中毒になりながらも数学研究に没頭した科学者であるウィリアム・ローワン・ハミルトンを紹介しました。
この記事で少しでもハミルトンについて興味を持っていただけると嬉しく思います。