森博嗣「笑わない数学者」逆トリックの意味[趣味]
こちらの記事は、既に森博嗣先生のS&Mシリーズ3作目「笑わない数学者」を読んでいる方へ向けた記事となります。
あくまでこういう読み方もできるという可能性の提示となります。(説明の関係上、断定形になっている部分もありますが、一個人の意見だと思って読んでください。)
逆トリックとは?
森博嗣先生が使っている言葉です。
森博嗣先生からの謎かけです。
まずは森博嗣先生のお言葉を読んでみましょう。
「オリオン像消失のトリック(謎かけ)が分かりましたか?」
様々な感想を見ると、多くの人が「トリックはすぐ分かった」と書いています。
本当にそうでしょうか。
オリオン座と「三ツ星館」
三ツ星という暗示
犀川は三ツ星館という場所を訪れたわけですが、この三ツ星館はオリオン座の三連星をモチーフとした形をしています。
なぜ三ツ星なのかというと、おそらく3人の不定な人物を連想させるためだと思われます。
中央が白のドーム、左右は赤と青のドーム。
(厳密には三色のライトで区別されているわけですが…)
白のドームは天才数学者 「天王寺翔蔵」を表し、
赤と青はおそらく天王寺宗太郎と片山基生の暗示だと思います。
赤と青は途中で「入れ替わり」不定となるため、どっちがどっちかという議論は出来ません。
両者共に赤でもあり青でもあります。
そしてこの3人はオリオン座の三連星を暗示している=オリオン像として暗示されている…ともいえます。
ギリシャ風のオリオン像には鋭い嘴の鷹(の像)がのっています。
天王寺博士(実際には息子)は日本人離れした鉤鼻(鷹や鷲のような鼻)だと記載されていたので、これも伏線だったのかもしれません。
オリオン像という暗示(=逆トリック)
この「笑わない数学者」は、森博嗣先生の作品の中でも比較的簡単なトリックの作品となっています。
私も最初、あらすじと三ツ星館の図面を見ただけで今回のオリオン像消失のトリックはほぼ分かりました。(そう思っていました)
しかし、それは実はひっかけで、オリオン像消失の謎かけは、2重の謎かけになっています。
恐らく逆トリックが3人の人物の入れ替わりを意味しているのだろうと、なんとなく予想している人は結構居ます。
しかし、"オリオン像消失"それ自体が3人の人物の入れ替わりを意味していることはあまり議論されていないようです。
①オリオン像はずっと存在しているが、登場人物たちが表(正面)と裏を取り違えている。
→こちらはすぐに気がつく。
②オリオン像(片山・天王寺翔蔵・天王寺宗太郎)の内、死んだと思われている2人は生きているが、生きていると思われている1人は死んでいる。
→こちらの表(死)と裏(生)を入れ替えろという謎かけはなかなか気がつかない。
オリオン像が初めて消えた日、宗太郎は交通事故で死んだと「信じ込まされました」。
なんとなく博士が誰かと入れ替わっているのではないかと気がついた人は結構いると思います。
しかしそもそも片山基生も天王寺宗太郎も両方が生きている結末にどれだけ多くの人が冒頭や中盤で気がつけるでしょうか。
オリオン像消失の「ヒント」と、笑わない数学者というタイトルの「ヒント」は、割と最初から準備されていたんです。
第1段階のオリオン像の表と裏のトリックを解いて満足してしまった方、
第2段階のオリオン像の表と裏のトリックを解かずに終盤に行って、やっと気がついたのではないでしょうか。
逆トリックという意味に引っかかる人達
色んな考察を読みました。
逆トリックとは読者(外)と登場人物(内)を逆転させていることを意味するのだという説を結構見かけました。
(つまり登場人物は気がつかないけど、読者は気がつけるようにしているという説)
個人的にはそうではないように感じます。
なぜなら矛盾点があるからです。
三ツ星館という円の外にいる私たちの方が自由に物を見ることが出来ているのなら、この作品の「内」と「外」の自由さの逆転と矛盾します。
なぜなら内の方が自由だと天王寺博士は言っています。
「私以外の人間は、外側に閉じ込められている。私だけ自由だ。」
つまり内側の方が自由なんです。
外にいる読者の方が登場人物よりも自由に考えられ、真実に辿り着けるというのは矛盾します。
もう一度森博嗣先生の言葉を振り返ります。
先程も言った通り、
第1段階のオリオン像のトリックに気づいた人は、そこで満足して終わる。それこそ「1番引っかかった人である」という逆トリックだと思います。
さあ全てを踏まえてもう一度聞きます。
「皆さんは(終盤に至る前に)オリオン像消失のトリック(謎かけ)が分かりましたか?」
トリックがわかったという感想を書き込んだ人達の中で、どれだけの人が本当にわかっていたか。
ちなみに私も読み終わった直後は分かった気になっていました←(考察してから気がついた)
ある日のパーティー後、オリオン像を消したとみんなに信じ込ませたあと(=片山基生と天王寺宗太郎が死んだと思い込ませた暗示)、博士はこう言います。
「史上最大のトリックとは何かな?」
犀川は頭の中で答えました。
(それは、人々に神がいると信じさせた(=天王寺博士が生きていると信じ込ませた暗示)ことだ)
オリオン像はいないと信じ込ませた後に
神がいると信じ込ませる話をして、
死んでいると信じ込ませた2人と
生きていると信じ込ませた1人
を見事に対比しています。
惜しかった人たち
オリオン像のトリック(第1段階)を解いた人は二人います。犀川と鈴木昇です。
確かに犀川にしては読者でも気がつける第1段階のトリックを解くのが遅かったです。
しかし、読者はこれが推理小説だと知っていて、俯瞰的(上からの)な図面を最初から提示されているので、主観的に横から見ている犀川にハンデがあると考えることもできます。
逆に物語の外(三ツ星館の外)にいる私たちは、円の中(三ツ星館の内)にいる登場人物たちとは違う見方をしているとも言えます。
外にいる私たちはオリオン像消失のトリックに固執しがちですが、内にいる犀川は俯瞰的な視点ではなく主観的な視点…つまり自力で「3人の存在」が「不定」となっている事実(第2段階)に辿り着きました。
外で見ている方が自由とは限りません。実は外で見ている方が一種のバイアスにかけられて、真実に辿り着きにくくなることもあります。
感想を読んでいると、最後急に大きな謎かけをされたというものをよく見かけます。
でも序盤から本当は謎かけをされていたのではないでしょうか。
私たち読者の多くはバイアスにかけられて、そこに気がつかない。(勿論気がついた人もいると思います。)
一種の叙述トリックに近いかもしれません。
だからこそ森博嗣先生も「その点に気づいてくれる人は少ないでしょうね。」と言ったのかもしれませんね…。
宗太郎と基生の入れ替わり
オリオン像消失のトリックでは赤のライトと青のライトが入れ替えられたことで、右と左の建物が逆転しました。
右と左の概念については作中で何度か話が出ています。
これは恐らく基生と宗太郎の入れ替わりを表していたのではないかと思います。
昇は中学生になった時に天王寺博士に自分の息子だと告げられました(現在19歳)。その事から恐らく告げられたのは6年前くらいです。
ちなみに片山基生が死んだことにされたのは5年前です。
昇が博士に「息子である」と言われたとき、博士に成り代わっていたのは恐らく宗太郎の方でした。(まだ基生は来ていないため)
犀川が最後博士に「昇は宗太郎の息子ではないか」と聞いた時、博士は否定しませんでした。
同時に博士の息子だと言う話もしている…。
ここで第1の入れ替わりが行われたと考えられます。
昇は天王寺博士(祖父の方)が死に、その遺体を運ぶのを手伝ったとされています。
天王寺宗太郎(天王寺博士に化けている)と鈴木昇で天王寺博士の遺体を運んだわけですが、昇は宗太郎と博士の入れ替わりを知っていないとおかしいです。
なぜならいくらそっくりであろうと、老いた祖父と父をみたら、どちらがより年上か一目瞭然だったはずだからです。
天王寺博士に父親だと言われたと鈴木昇は犀川に話しましたが、鈴木昇は宗太郎を父親のように慕っていたとも記載されています。
昇は宗太郎が父親であると分かっていたのでしょう(多分)
愛に気づけなかった片山基生について
息子の和樹から見て、片山基生は神経質で理屈っぽく、片山亮子にぞっこん(死語)でした。
母には昔からボーイフレンドが沢山居たけども、父を超える人がいるとは思えない。母も多分そう思っている…だから誰とも結婚してないのだろうと和樹は語っています。
つまり、片山亮子も基生を愛していたことがわかります。
なのに天王寺博士(息子が化けている)はおかしなことを言います。
片山亮子は片山基生を愛していない…天王寺宗太郎を愛していたのだと。片山基生は家族の誰にも愛されていないと。
これは1番近くで見てきた息子の感じ方と大きく異なっています。
片山亮子は片山基生の生存を知った時に悲鳴のような声をあげました。あの人が生きているのかと、それは恐らく驚きというよりなにか希望を見いだしているようでした。
また、息子の和樹は父を尊敬して建築家になろうとしています。
娘の志保は父が殺人犯ではないと信じていました。
不定だ不定だ、定義付けは自由だといいながら、現実と乖離したことを言う博士。
恐らくこの時点で、天王寺宗太郎と片山基生は入れ替わっていたのではないかと思います。
つまり、天王寺博士に現在成り代わっているのは片山基生…。
その裏付けとして、天王寺博士が愛について話すシーンがありました。
天王寺博士いわく、他人に干渉されたい(好かれたい)と思うのは人間の弱さである。自分は妻から愛されたいと思っていた(つまり自分は弱いのだ)。
こういった愛されない孤独感、弱さから逃げてきた人物…それが片山基生だと思います。
また、真実に近づいた犀川は片山基生が殺人の舞台を準備した張本人だと言いました。ただ犯人は別にいる(鈴木昇)…と。
それは恐らく真です。
犀川は片山基生が化けている天王寺博士に向かって、あなたが昇と君枝をそそのかしたのかと聞きました。
博士はそれを否定していません。むしろ肯定するかのようなことを言っています。
昇が現在の博士が片山基生だと思っていたかはわかりませんが、父・宗太郎を追い詰めた律子への復讐を父が息子にやらせるのは少し違和感があります。
片山基生がやらせたなら納得が行きます。宗太郎の関係者ばかり死んだり殺人に関わったりしていましたが、これが宗太郎への復讐だったのかもしれません。(もしくは亮子を律子たちから守ったとも言えそうです。)
実際博士も、片山基生は宗太郎を殺そうと思って三ツ星館の地下に来たのかもしれないと語っています。(最終的には殺していませんが)
基生は誰よりも愛していた亮子が宗太郎を好きなのだと思い込んでいました。それは恐らくあっていますが、基生が愛されていなかったというのは偽りです。
おそらく思い込みでしょう。
その思い込みに囚われて、三ツ星館という円の内側に逃げてしまった片山基生。最後の最後まで和樹の言う通り、亮子を大切にしていました。
犀川に「不定」だと言ったのは、自身が宗太郎や博士と入れ替わることで、存在の定義を曖昧にし、亮子に愛された宗太郎になりたかったからかもしれません。
不気味に笑って出番は終わり…そして恐らく最後は心不全で亡くなりました。
エピローグで宗太郎らしき老人が出てきますが、この老人はユーモアがあり、少し文系のような発想をしています。こちらが宗太郎でしょうか。子供相手にニコニコ笑っています。
笑わなかったのは死体となっていた数学者(本物の天王寺博士)だけでしたね。
ここまで全て私の勝手な妄想ですので、こんな読み方もできるんだと面白がっていただけたら幸いです!
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