今Vを見る意義はあるか?
今年の1月にNetflixに入り、休日は映画と読書、たまに料理と外出という日が続いている。
幸運にも家の近くに本屋があり、自分には2台のロードバイクがある。自転車で行ける距離に新宿、渋谷、青山、銀座があり、ちょっと足を伸ばせば電車ですぐに江ノ島まで行ける。
ここ数年で時間の使い方がだいぶ充実したものになったと思う。
面白いものを見つけるためのアンテナの張り方が変わったことも事実。実際に動いてみて、現地に行き、それが面白いか確かめることも多い。検索だけで済ませない。
一方で消極的に変化したものもある。推しに対する考え方だ。
数年前から数人のVtuber を見ていたが、現在に至り、彼女ら(のほとんど)を面白いと感じられなくなった。
心境の変化について以下に記しておこうと思う。
自分のための記録として。
①Vのニコ生主化
最近の彼女らはどこか遠いところで私とは関係ないことを喋っているという感じがしている。
単純に自分がおじさんになったから話題についていけなくなったのかな?と思っていた時期があったが、ここ最近どうもそうでないらしいことに気付き始めた。
原因はVtuber のニコ生主化にあると感じている。
彼女らの世界はとても狭く、近年は特に閉じコン化が著しい。
話している内容についても何か新しいものを見つけてきて議論したり調べたりというディスカバリーな側面がゼロに等しく、皆一様に同じゲームを繰り返し、同じ話題を繰り返している。
話題の枯渇が起きているのだ。
そしてゲーム以外で話されることは身内(仲が良い同業者)のことが大半である。
自分が楽しいと感じられない訳だ。
インフルエンスする側が本気で遊んでいないし、彼女らの「お友達」だろうが知らない人のことは面白がりようがない。
彼女らは私とは遠い「世間」で何か独特な「出来事」のことを喋っている。
本が出版されても、映画が公開されても、既知の名作ゲームをまだやっていないのに、彼女らはそのことに触れようともしないのだ。
私はそういう姿勢を怠惰だと感じる。
仮にもインフルエンサーであるならば、新しいこと、面白いものを探して紹介するべきだ。
せめて周防パトラのように既知の名作ゲームのどれが面白いのか、アンケートでも取ったらどうか。
利益に誘導するための行動ばかりが目立つ気がする。
バーチャルYoutuber はもう少し自由で闊達なものだと思っていた。
今のVはニコ生で口座にカネを振り込んでくれと嘆願していたウナちゃんマンと何ら変わらない。
少しがっかりしている。
②本当に面白いことは足で探す
ここ数年、病気が流行っているせいで人と会うことが極端に少なくなった。
2019年の人脈は完全に廃れ休日に遊ぶ友達はもはや一人もいない。
会社における人間関係は当然あるし、それは概ね友好的なものだが、それでも休日にどこかに遊びに行くような相手はいない。
一人でどこかに行き、出先で誰かと二言三言だけ会話する。
少し前ならこれは「寂しい人間関係」だと言われたかもしれない。だが今の状況においては、これは全くおかしなことではないと思う。
楽しみの質が変わった。
人に頼らず、面白いことは独力で足を使って探す。
それができればいいと思う。
楽しみは自分で探していく。
③身体性
いくつか懸念はあるが、概ね健康な日々が続いている。
幸いにしてロードバイクが楽しい。
Vにはこの身体性が無い。バーチャルだから(当然)無い。
食べる、見る、動く。こういう身体性を伴った楽しみについてはVには期待できない。○○に遊びに行ったなどという報告については聞けるかもしれないが、それが何だというのだ?
Vの友達とディズニーに遊びに行った体験談を聞かされても正直「良かったッスね」という感想しか出てこない。(『だから何?』とイラつかないだけ自分は優しいと思う。)
夜の海の風が身体に当たる感覚を説明できるか?
料理の美味しさを伝えるとき、その美味さがどういった事象から成り立っているのか微細に分析して話すことができるか?
そういうことに言及しているVはかつてほとんど存在しなかったはずだ。
身体性を伴った生きる喜びは、己にしか得られないものなのかもしれない。
以上3つのことから、Vが楽しく感じられなくなった。
もう見ないとは言わないと思うが、視聴する意欲や時間は減衰していくだろう。
世の中には面白いものがたくさんあって、こんな世の中でも今はまだ幸せだ。