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書評『不安は自由のめまい』
もしパラレルワールドの自分とコミュニケーションが取れたら?
テッド・チャン著「不安は自由のめまい」はそういうSF小説。
設定
「プリズム」というタブレット端末により、平行世界とテキスト・音声・動画でやりとりできる。
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パラレルの自分と話したいという一般人向けにプリズムは売られている。
プリズムはテキストや音声のやり取りだと長持ちし、動画だとすぐに消耗してしまう。
ちなみに舞台の科学水準は私たちの良く知る世界とあまり差がない。
展開
もう一人の自分と話せるのは素晴らしい体験になる。違う分岐の人生がどんなだったのかは、自分の知らない自分の可能性に気づかせてくれる。
しかし、パラレルの自分の成功に嫉妬するなどプリズムを使ったことで不幸になる人も出てくる。アルコール依存症の人が集まって悩みを話し合うように、プリズム依存症の人のための自助グループもできている。
主人公はプリズムを売り買いするブローカーとして働く。
主人公はあるプリズムのために奔走する。それは、あるセレブの恋人同士の男女が乗った自動車事故で男が死ぬ分岐と女が死ぬ分岐に分かれているもの。ブローカーはそれぞれの分岐で悲嘆に暮れているセレブにプリズムを高値で売りつけようとする。
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お目当てのプリズムを元の所有者から一般的な値段で買い取って残されたセレブに高く売りつける計画に、主人公は流されるまま加わっていく。
書評
「分岐の先の自分のうち誰かがそれをやるなら、それをいまの自分が我慢することに意味はない」と殺人を肯定する人と主人公は邂逅する。
最終的には「自分が何をしたって同じで、選択に意味なんかない」といった自身の虚無主義的な考えから逃れられるようになる。
「不安は自由のめまい」には、ヒトラーを生まないためには誕生の10年前の酸素分子を一つ動かすだけでよい、といった微細な分岐から生まれる無数の可能性に注目した記述が多く登場する。
しかし、未来の不確かさや偶然性だけに注目しているわけではない。
少しのきっかけの違いで状況は変わっても、行動には変わらないパターンが見られる。
逆説的に人間の本性を変えることがいかに難しいかを描写している。これまで積み重ねてきた選択のパターンからは外れがたいと強調しているのだ。
ある特定の傾向の行動を何年も取り続けることが、人間の脳にわだちを刻みうる。
この書評を書くにあたっていくつかの書評を参考にしたのだが、読者の成長について言及している書評が多くあって本当に嫌だった。
センス・オブ・ワンダーだかなんだか知らないけど、そんな本読んだだけで人生変わるとか成長できるとか、登場人物に影響されるとか起こり得ない。
あまり舐めるなよ、読者の積み重ねてきた時間の重みを。
書籍情報・他
短編集『息吹』には、早川書房のハードカバーで80ページ分の「不安は自由のめまい」の他「予期される未来」(4ページ分)と「息吹」(20ページ分)の傑作も収録。
371ページ6行目に誤植を発見した。
―――――「いちばんの難関はクリアした。残りは簡単だ」ライルモロウは笑って、「元気出せよ、(略)―――――