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ワンオペ介護でおいつめられたこと

介護でたいへんな事。
それは、介護する自分の心を飼いならすこと。
これが一番たいへんだと思う。
特に、思うようにいかなくなり始めたころ。
介護される側が寝たきりになるのも大変なんだけど、一番きついのは、介護される側が元気なこと。

身体が思うようにいかないのに、口は達者。
認知的症状の出始め。
感情のコント―ロールが利かなくなってきている頃。
トイレもお風呂も自分一人ではできないのに、デイサービスを拒む。
等々

親だと思うと、それがうまく自分の感情がコントロールできなくなる。
うちの場合は、多少の物忘れはあるものの、意味不明ということはなかった。ただ、感情のコントロールが利かなくなった。
週3回の透析の帰りに、車の中で突然泣き出すとか...…。
どうしたいのか、聞いても泣くだけ。
これを何か月か繰り返していたある日、突然私の我慢が切れた....…。
(もちろん、それだけじゃなくてお風呂やトイレの負荷、寝不足、ストレスいろいろ重なったんだけど...…)

どうすればいい?
この先、これが続いていくの?
いや、これ以上ひどくなるの?
透析の帰り、助手席に母を乗せたまま車を走らせた。

地元の山に向かっていた。
時間は春の夕方5時過ぎ。
「もぉ...…一緒にお父さんのところにいこうか」
いろんなことを車の中で叫びながら、泣きながらアクセルを踏んで山に登って行ったことだけは覚えてる。
だけど、何を言ったか覚えてはいない。
ただ、悪態をついていたんだろうなとは思う。
感情がぎりぎりだった。
泣きたいのはこっちだって一緒だ!
もぉ嫌だ!

だけど、娘という自分は、母を一人父のところに送る勇気はなかった。
だから、一緒に山に向かって行った。
今考えても泣けてくる。

山の途中にある大きな神社の前の駐車場に車を止めた。
観光地でもあるから、宿やお店があって明るい。
助手席で声をあげてないている母を乗せたまま、車の中で「一緒にお父さんのところにいくからっ」と金切声をあげた。だけど、泣き続けている母を見た後に襲ってきた恐怖もあった。
元々、父のところに行く覚悟も、母をそこに送る覚悟もできていなかったのかもしれない。
神社の前の宿の明かりにほっとしたのかもしれない。
悪態をつきながら車を走らせてきてすっきりしたのかもしれない。

「もういいよ...…かえる」

そういったことは記憶にある。
「ごめんなさい」
なんて言えなかったし、何を言っていいのかも分からなくなった。
真っ暗になった山道をのろのろと下っていたのは覚えている。
いつの間にか、隣に座っていた母は泣き止んで、不安そうな顔をしてこっちを見ていたのも覚えている。

育てられ方にもあるのかとは思う。
年齢的にも
我慢しなさい
頑張りなさい
と言われて育ってきた。
勤勉ではない方だけど、世間様にご迷惑をかけないように生きていきなさいという教えには極力従って生きてきた。
一人っ子だからか、上手に羽目を外す方法も知らなかった。
両親に大事に育てられ、いい子でいる習性もついている。

だから、外に向かって介護で苦しくてもニコニコ笑って「大丈夫です」と言い続ける。
兄弟姉妹もいないから、父のいない我が家は母と自分の二人だけ。
ワンオペ介護では、誰にも何も言えなかった。

運転しながらタレントの清水由貴子さんのことを思い出していた。
そして、この行動に出た自分が怖いと思った。
運よく思いとどまった...…。だけど、この先は?

そう思っても、この後も「助けて」というまでにはかなりの時間を要した。


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