身につく技術と忘れる技術
自動車教習所で講習を受けて、免許センターで運転免許を取得すると、公共の場で自動車を運転する権利を持つ。だが、それで技術は十分に足りているのだろうか?
実際道路を運転すると、教習所では起こり得なかったヒヤリハットな出来事に遭遇する。その経験から学んで運転技術が高まっていく。実践で身につけた技術を簡単に忘れることはなく、改めて教習所に行く必要性は少ない。そうやって運転の技術に自信をつけていく。
学校ではたくさんのことを学ぶ。国語・数学・理科・社会・英語など。試験で好成績を得るために、受験で合格するために勉強した技術だが、その後の人生で役立っているだろうか?
例えば三角関数。技術系の仕事に就いたり、趣味でDIYに勤しむ人は少数派だ。それ以外の人は大人になってから三角関数を必要とすることは殆どない。そのまま忘却してしても不自由がなく、学び直す必要もない。
子供のときは五教科以外にも沢山学んだ。仲良くなるとか、喧嘩するとかを通して「適切な対人距離」を学んだ。
学校では道徳とか倫理の授業はあったけど、就職を重視していた自分には、正直、重要さを感じないまま受講していた。社会で他人と関わる技術なのに、その適正試験もなければ免許証もない。無くてもいいけど。
で、無免許なのに?社会に出たら即実践。対人関係でたくさん学ばせてもらったが、それでは足りない。独学も必要。HowTo本では浅い。美術、芸術、芸能、心理、倫理、物理や数学などあらゆる知識が自分なりの仮説に役立つ。「適切な対人距離」の学びは永遠。自分もまだまだ勉強が足りん。
しかし、対人距離の技術で自信をつける、とはどうしたら出来るのか?過信が良くないのは自動車運転も一緒。自信を失うと免許返納するように、自信を失うと人と交流できなくなる。実践の場が減ると、もともと持っていた技術ですら忘れてしまう。社交性がペーパードライバー化する。
そもそも対人関係のトラブルの場合、相手の問題で済ませてしまえば、自分で努力しなくても済んでしまう。自分に課題がある!と意識して、同じトラブルを繰り返さないように努める人はどれだけ居るだろう?
交通安全のために運転技術や交通道徳をアップデートしていくように、安心して他者と交流するための技術や道徳をアップデートしていく。それは社会に生きる誰しもに必要なことなのに、なんだかハードルが高すぎる。誰もがこの学びに意欲的になって、楽しく続けるにはどうしたら良いのだろう?
その必要性は高まっている。歳を重ねるごとに交流する人は似た者同士に成り、その人の数も減っていくもの。さらにはコロナ禍のせいで、直接対面する機会も、不特定多数が一堂に会する機会もどんどん減っているのが現状。知らない道が増えるように知らない人が増えていく。不安は募る。
まるで闇夜の一本道。周囲と折り合いをつける操作は減る一方で、衝突時に大損害になるリスクが潜在的に高まっていく。他者の靴を履くということ。エンパシー能力がどんどん低くならないか心配だ。
どうせ人と関わるならダンスをするように関わりたい。楽しく健全に前向きに関わりを持ちたい。その願いは止まらない。なんとかしたい。