虚弱を生きる
こんにちは、虚弱の民です。
昔よりは元気になりましたが、今でも二日連続フルタイム勤務したら、三日ほど寝込みます。
もはやそれを織り込み済みで、一週間のスケジュールを立ててます。
瞬発力はありますが、耐久力という概念はインストールされてません。
さすがの私も、若い頃はこういう感じではありませんでした。
というか、32歳までは普通に、当時身を置いていた業界的に「ふつう」とされる勤務体系に順応できているフリをしていたら、あるとき文字通り立てなくなって、今に至る。
最後の職場は、地域中核病院の新生児集中治療室(NICU)で、私は小児科医を目指す研修医で、「デキる医者は寝ないで働ける!」と何故か疑いもなく信じていて、目標とする先輩医師たちの働き方を真似ようとしていました。
それでも、いくら憧れたって、気合いと根性ではどうにもならない現実があり。
うつ病の診断書を書いてもらって職場を離れたときには、自分がうつ病であることすら分からないくらい、頭が働かず、体も動かなくなっていました。
それで数年寝込んでいるうちに、すっかり持久力がなくなったんだけど、なぜか瞬発力だけは今も残っている不思議。
体調が一番最悪だった頃にお世話になっていた鍼灸師さんいわく、
「あなたは事故車のフェラーリを住宅地で運転している」
なるほど?
無闇にパワーの出るエンジンを積んでいて、アクセルに爪先をちょん!と触れさせただけで爆速の加速ぶりだけど、日常生活に向いてない感じですね!
あまりにも秀逸な喩えに痺れて、精神科医の友人に報告したら、
「そうそう、無理しがちな患者さんに私もよくその譬え話をしている。うちの外来にもF1エンジンを軽油で走らせる人々が続々と来てるよ〜!」
とのことでした。
全国のF1事故車の皆さま、本日もご自愛モードで参りましょう。
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事故車で、いつピットインしてもおかしくない状況だという自覚が芽生えると、私の場合は怖すぎて公道を走れなくなりました。
というのは喩えで、「就職のために履歴書を提出して、誰かに雇ってもらうのが怖くなった」という感覚です。
履歴書から想起される高出力のエンジンを、私はうまく使うことができません。
車体はいちおう修理済みだけど、ガタピシしていて、長く走ると崩壊の恐れがあります。
安定したパフォーマンスを持続的に約束できること。
この社会の中で、その価値がどれほど高いかを痛感しました。
いつも同じクオリティで労働やサービスを提供できることが、自分ブランドの安心と信頼につながります。
では、それを約束できない虚弱の民は、どうすればいい?
守れもしない約束をして自分にも相手にも傷を負わせることは、もうしたくない。
安定できない、波があり、揺らぎがある。
その常態で、どんなふうに社会参加を目指すのか。
事故車ライダーの私が、今後ずっと付き合い続けていく予定の課題です。
弱さ抱え、弱いまま、生きていける社会を目指して。