ADHDやASDの子ども達の可能性

ADHDやASDの子ども達は特別なのか

スクールソーシャルワークを始めて、ADHDやASD等と診断され、学校の通常級に馴染めない子ども達が多くいることに驚きました。
そして、彼ら・彼女らに対する今の教育って、「それでいいの?」と悶々としてました。心理師にしても、自分が見えている彼/彼女の一面だけを見て、あまりにも簡単に「特性」という言葉で済ませて考えることを停止してしまっていないかしら?とか。
個々の特性はグラデーションなわけだし、環境が「特性がある」という状態を作り上げている訳で・・・。昔よりも、今の小中学生の子どもが、他の平均的な子ども達と違うことに不寛容なんじゃないだろうか、という気もしています。

もとい、ADHDやASDの子ども達、彼ら/彼女らの人数が増加傾向にあるならば、もはやそれは「特別」とか「マイノリティ」とかということでもないだろう。それに「特別」「マイノリティ」だから、この分野のこの働き方を与えておくね、という世界も本当にそのままで良いのだろうか?もっと可能性を秘めているのに、彼ら/彼女らが活躍できるための方策を、政策側が諦めて、閉じ込めてしまってはいないんだろうか。
そんなことが私の課題意識としてありました。

ADHDやASDをマイノリティとして扱っているままで良いのか

①御社に『脳の多様性』はあるか(日経新聞23/1/20)

そんな悶々とした気持ちの中で、昨日の日本経済新聞のオピニオン欄に、それに応答するような記事が掲載されていたのでご紹介させてください。
タイトルは「御社に『脳の多様性』はあるか」というもので、日経のコメンテーターが、ガートナー社の将来予測を紹介しています。

2027年までに『フォーチュン500』の有力企業の25%が自閉症や注意欠陥多動性障害(ADHD)、読書障害といったニューロダイバージェントな人材を積極採用し業績を向上させる。
脳の多様性とは、「脳や神経、それに由来する個人レベルでの特性の違いを多様性ととらえて尊重し、社会で生かそう」という考え方を含む。
人手不足や事業創出という課題を求められる企業で、こうした脳の多様性を意識した経営が広がる。

日本経済新聞2023年1月20日

②企業の創造性の限界と多様性企業
そうなんです。そもそも、今の事業環境を思えば、マスを占めるような平均的な人々が必要とする様なサービスや商品は既に提供されていて、企業はどうイノベーションを創出できるか悩んでいる。であれば、もっと企業自体が多様性を包含した世界になっていかなければ、自己満足的に機能を高めた商品が開発されるだけになってしまうかも。。。中庸に染まっているだけに留まって良いのだろうか。
それに、今の技術をもってすれば、もっと色々な働き方だって可能になっていくはずだ。現に、コロナ禍において、リモートワークが一気に広がった状況もある(かなり戻ってしまってはいるが)。コミュニケーションの在り方は様々。フェイストゥーフェイスの人間関係の構築が重要ということは否定しないが、文字でつながる方法もありだ。
彼ら/彼女らの可能性を、「特性」や「障害」等のワードで区切ってしまい、障害者枠雇用で保護されるという誘惑で抑え込んでしまうだけで良いのか。

多様性を包含した企業へ。そして教育へ。

この問題、ガートナーや、記事を書いたコメンテーター、私ですら気づいていたことなので、きっと既に多くの人々が感じていることだろう。
ただ、個々に思っていても物事は動かない。産業界と、教育の現場が相互に連携を取って、検討を進めていく必要があって、誰かしらが旗振りをしなくてはならない。
残念なのは、教育の現場にいる方々が、所謂「中流」の方が多く、またビジネスの現場を知らないこと。
そして、ADHDやASDの児童生徒たちをサポートする立場の支援員やSC、SSWの人々もまた、彼らを「疾病」「障害」等と見たり「支援が必要な弱い人たち」と見がちで、ある人達は強引に指導しようとし、またある人達は、かわいそうな人たちとして特別な場所に押し込めて支援されればそれでよいと思っていないかということ。
もちろん、特性を理解する必要はある。でも、障害枠として採用される段階から、特性を踏まえつつも枠を取っ払って、一歩先の世界に進めないものか。
彼らが、もっと自由に、可能性を広げていくことが出来るよう、何ができるのかー産業界と教育業界、そして、それらをつなぐ際にサポートできる人々が連携をとって、道筋をつくっていけないかな、と思ったりするのでした。

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