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デザイナーと編集者の融合 _ 2 / ヨーロッパの変化とフィロソフィー
前回の文脈を続けるにあたり、少しおさらいをしておきたい。
前回導きたかった結論は、デザインには、フィロソフィーが必要である点。
そして、その構築をする際に必ずしもデザイナーだけでのタスクに拘らず、もっと複合的なタレント(能力)を持ち合わせたチームで挑む事で、捻りの効いたストーリーができるのでは?!
と言う持論の中、TAKRAM社に編集者が加入したケースを嬉しく思いペンを走らせた。
この章では、日本の工業デザイン界で、なぜその様な動きが導けなかったか、そして他国ではどの様な歩みをしてきたかをもう少し時間をかけてまとめてみたい。
その構築に少しお付き合いください。
■日本の技術力の発展と背景
昨今の韓国や中国製品の台頭は目覚ましく、既に日本の技術力と同等であると言える。
特にスマートフォン分野では、両国に完全に抜かれている。元々日本のお家芸であった液晶パネルやカメラ技術は、両国の後を追っているのでは。。。
日本の技術者の流出も囁かれているが、もはやその段階ではない。
では、日本はどこを間違え、何が足りなかったのであろうか。
もともと日本の製品力は、その技術力を買われていた。
それは、戦後焼け野原から経済大国まで発展してきた過程で得た逆転の発想であった。
ではその発想とは、どの様なモノか。
資源のない日本は、海外から原料を輸入し鉄や樹脂を精製した。
そしてその材料を基に精密機器から自動車産業まで多種多様な分野を自ら設計しそして生産した。
そしてその製品を輸出しメイドインジャパンをブランド化した。
また、それを可能にした技術は、図面をもとに1/100ミリで製造される
製品の正確さや不良率の少なさは、世界を圧倒し、何よりその製品は、低コストで生産された。
世界から見れば信じがたい脅威であったに違いない。
長時間の労働をこなし、正確な単位で生み出すクオリティは、もはや1980年代には、右に出るものはいなかった。
この結果が日本をモノづくり大国へ成す事が出来た要因となった。
ただ、そこに問題もあった。
日本の製品は、そこに頼りすぎた点だ。
特に、商品へ付加価値を求める事も少なく、多機能、高スペックと言った物質的な満足感で終わるモノが多かった。
技術力で頂点に立った頃、ヨーロッパやアメリカは、
それぞれ別の文化が生み出され、その価値が現在も牽引している。
■ヨーロッパのブランド文化
ヨーロッパでは、元々王室に仕える職人による工芸品を
産み出す文化が根付いていた。
特にフランスやイタリアでは、王室、貴族文化の発展にその技術力が貢献した。
そして、イギリスで始まった産業革命に伴い、商品を
大量生産する工程が加わり、工芸とテクノロジーの融合が始まる。
この融合が今のヨーロッパを支えるラグジュアリープロダクト戦略だと私は思う。
もともと完全ハンドメイキングであったモノが、
機械式生産技術と融合し、量産できる工芸品と化した。
当然、手作業もあるが、工程も分業化され、今まで
ヨーロッパでしか買えなかったモノが、世界中で購入することが可能となった。
その製品が日本にも、もたらされ、機能性を重視した製品は、国民の興味の対象から徐々に外れていった。
時計で言えば、一時期、日本製品の出現により売上を落としたスイス製品が再び注目され、その価値は再び見直される。
まったく誤差の出ない日本製のモノも良いが、静けさの中で機械式時計の繰り出す機会音は、すごく繊細で心地が良い。
あのスペックで現れない、心地良さを日本のメーカーは気づけていなかった。
また、ファッションブランドで言えば、エルメス、ルイヴィトンから、アルマーニなど革製品からフォーマル、ドレスウエアに至るまで、日本を席巻した。
特にアルマーニは、機械化された織機で織られた生地でありながら、職人技との融合で仕上がった生地は、日本が培ってきた技術では、追いつけない領域へ行っていた。
私も当時、その生地の張り感、弾力感、そして織り込まれた糸の持つ立体感に憧れ調べたりしたものだ。
テキスタイル協会の調査など、当時は興味深く見聞きした事を今でも覚えている。
専門用語などもあり、この場で簡単に語れないが、一つの要因として、有る程度のクオリティで有ればそれを良しとし、量産性を優先したクオリティを日本では求めたと思う。
また、生地だけでなく、一見重そうなジャケットも袖を通すと実は凄く着やすい、そして動きやすい。
全てにおいて、イノベーティブで職人技と融合したクオリティであった。
先程のスイス製の時計に通じる所が有ると思われる。
日本はバブル期に市民がお金を手にし、そこに付加価値のあるモノを求め始めた。
機能性や高品質は当たり前になり、唯一無二の存在意義に憧れ始めたのである。
時計やバッグ、ファッションウェア。
どれも日本製のモノは高品位であるが、全てにおいて
その先にあるモノが導きくことは、出来なかった。。。
※ここまで読んで頂きありがとうございました。
次号では、アメリカの変化の遂げ方と
日本が辿り着けなかった領域は、どの様なモノか
を考察すると共に、TAKRAM社の今後の可能性を
勝手に妄想し語らせて頂きたいと思います。
ご興味がありましたら、お立ち寄り下さい。