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残念しっぱい雑記『芸大受験すべって出家!?』
大学受験にしっぱいをした。
人生ではじめての最もわかりやすい『挫折』だった。
周りの同級生があまり浪人をしない環境の高校だったこともあり、衝撃で落ち込んだ。お先まっくらで、二週間は家で寝込む。
出家しようと思い、福井の永平寺と和歌山の高野山に電話した。虚無僧にでもなって旅に出よう。
しかし、電話口で「そういったことは対応しておりません」、と断られた。
恥ずかしかったし、情けなかった。
理系でも文系でもない第3の道
高校時代は理系のクラスを選んでいた。
理系が得意だったという訳ではなく、周りの男子がみんな理系を選んだので、なんとなく理系を選んでいたに過ぎない。
性格は真面目だった。だから物理や数学に取り組んでみるが、成績はイマイチ。しかし、高校も2年生になってくると、真剣に進路を考えなくてはいけなくなってくる。
高校のレベルは名古屋の中堅の進学校。そこで真ん中よりちょい下レベルの学力だと、行ける大学は名古屋の私立の工業系の大学くらいしかなさそうだった。
つまりそれは高い学費で、男しかいない冴えない大学生活を意味していた。それは正直、夢がなさすぎる。親に高い学費を払わせ、つまらない大学生活。なんのために大学に行くのだろうか。。。結構真剣に悩む。
とはいえ、文系の科目が得意な訳ではないので、文転するのも釈然しない。
そこで、思い出したのが高校2年の夏の京都で入った美術館。カメラマンやアートの道には、少し興味が沸いていたのだ。
そう。理系でも文系でない第3の道。芸術系への道である。
絵を描くのは好きだった。とはいえ、図工や美術は5段階評価の通知表で3や4。決して、得意と言えるほどではなかった。しかし、私は芸術大学や美術大学への知識は皆無。だから無謀にも、この第三の手はめちゃくちゃ名案だと思った。
選択授業で辛うじてあった美術の授業。その最後の授業の際に、非常勤だった美術の先生に芸術大学に行きたいということを相談してみた。
すると
「中村くんが東京藝術大学に行くためには。。。」
と話し始めた。その時、僕は勘違いをした。
「もしかしたら、東京藝術大学にいけるのか!?」
その頃の私の学力では、東京工業大学はもちろん、名古屋工業大学だって受験資格すら得ることはできなかった。それがいきなり、東京藝術大学の説明始めたのだ。
私は謙虚に、東京藝術大学は無理でも、国立大学の愛知県藝術大学でも良いと思った。
今思えば、その非常勤の美術の先生は天然だったのだろう。
完全に勘違いをした。しかし、それが良かったかもしれない。
ともかく、それで芸術大学を目指し出したのだ。
高校3年の4月から、美術系予備校のYAG亀島美術研究所に通い出した。最初に描いた白い皿のデッサンは、A・B・Cの三段階評価のC評価だった。
描けないのはもちろん、なにが悪いかわからなかった。そんな無知からのスタート。今思えば芸大受験をナメていたし、見通しは甘かった。
そこから高校3年の1年間は学力は完全に捨てて、デッサンに全てをかけた。しかし、世の中そんなに甘くない。
愛知県立芸術大学、名古屋芸術大学、名古屋造形芸術大学のすべての受験にすべることになる。
そりゃそうだ。
しかし、そこから楽しい浪人生活が始まることになる。
しっぱいだけど、しっぱいだと思っていないしっぱいだ。
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