人間理解を進めると価値観が作られていく〜自由意志と自然界〜

勉強や自由意志、人間について考えてきました

文章がとっ散らかってしまいましたが、一応、思考の整理と備忘録を兼ねてまとめておきます

人間も自然界の一部

いつしか人文科学、とりわけ心理学、精神医学などを素人なりに少しずつ学ぶようになっていました

ダニエル・デネットなどが著した自由意志に関する著作なども読んできました

人間について学んできました

そうすると、次第に人間も自然界の一部であることがわかるようになってきました

当たり前といえば当たり前なのですが、勉強を通して腑に落ちた、という感覚です

正直なところ、詳細な知識などはどんどん抜け落ちていっていますが、つくられた価値観はあまり変わりません

動物だから失敗するし他者を攻撃します

動物だから当然ショックを受けます

動物だからトラウマを持ちます

ただ、人間だからこそ知ることができます

自分を責めたところであまり意味がないということもわかったし、でも自然法則として責めてしまうのだろうと考えるようになってきました


精神論や根性論

精神論や根性論を振りかざす人はあまり好きではありません

しかし、動物である以上そのような幻想を抱いてしまうことは理解できます

今では彼らを見ても「知識がなくて(文字通り)可哀想な人なんだ」と思うようになってきました

色々と知識を獲得するきっかけがなかった、本当に憐れむべき対象なんだと思います


神と自由意志

おそらく自由意志は存在せず、あるのは自由意志に似た機能だけなんだと思います

この辺りはまだまだ勉強が足りていませんが

神と自由意志は似ています

どちらも意志を持つ存在です

外に見出したものが神、内側に見出したものが自由意志です

かつて神の不在が証明されたことはありません

しかし現代では神の「存在」を信じる人は少なくなってきました

それと同じく、科学が進めば自由意志を持ち出さずとも様々な事象を説明できるようになるでしょう

そうなれば自由意志の不在もなんとなく受け入れられていくでしょう

人間は自然界の奴隷です


太宰治の正義と微笑

太宰治の正義と微笑に以下のような名文があります

覚えるということが大事なのではなくて、大事なのは、カルチベートされるということなんだ。カルチュアというのは、公式や単語をたくさん暗記あんきしている事でなくて、心を広く持つという事なんだ。つまり、愛するという事を知る事だ。学生時代に不勉強だった人は、社会に出てからも、かならずむごいエゴイストだ。学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。

太宰治『正義と微笑』


私が言いたいこと似ています、というか、最近になってこの文章の意味がわかったんです

勉強の本質は、知識をつけることではなくて、知識をつけて価値観を変えることです

個々の知識が抜け落ちても勉強したことで身についた価値観が消えることはない

私はそんな風に理解しています


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