二つのラムネ

 バイト終わり、駅のホームでラムネを二袋買った。それを袋ごとカバンへ突っ込んだ。そのまま私は電車に乗り込む。ぎゅうぎゅうで、夏の日差しで、熱を持った塊は私の家と呼ぶべき場所へ私を運んでいく。

 「じゃあ十日に会おうか。」
 花火大会の日に彼と約束した。彼も私もお酒が好きだ。普段無口な酔った彼が素直なのが可愛くて、何度も何度も遠いところをこちらに来させては、自分のなじみのバーへ連れて行って彼を酔わせた。

 自分への自信を破壊し、否定し、オーバードーズで救急車に運ばれ、混濁する意識の中で受け答えする中、医者にこっちにも余裕がないんだ何してくれてるんだとぴしゃりと跳ねのけられた私。やむなく一人暮らしの家を出て、関わりを持ちたいとも思わないし、落ち着きもしない実家へと戻ることになった。
 家族と今さら慣れ合おうなどと思わなかった。お互いのせいで作った溝はお互いが直すつもりがなければ埋まらない。私は家族が嫌いだった。だから、永遠に埋まらない溝の中で私は「死なれると面倒な要観察対象」としてそこに居た。

 小学生のころの習い事で囲碁をしていた。小学生が多くて馴染めない中学生が気になって仕方なく、石を混ぜて意地悪ばかりしていた。そろそろ皆に馴染めてきたかなとある日突然呼び出されたその日、私は処女を失った。女の命は短いという言葉はぴったりだった。私は女が弱者であるということを思い知って、ただ女であるということを棄てた。この話は家族に話したことはない。

 だからだろうか。この首にわしゃわしゃとかかる髪の煩わしさは。流行りのインナーカラーのピンクが揺れるたびに胸が靄つくのは。

 『またそんな男に媚びるような髪色をして、』
 煩い。
 『どうせお前に生きる価値なんてないのになんてもったいないお金の使い方をしたの?ちっとも似合ってないし、可愛くもない。』
 うるさい。
 『なんでバカみたいな恋愛しかしないの?本当のアンタを知って誰が愛してくれるの?見た目ばっか綺麗にしてまたセフレでも探すの?どうせもう飛び降りて死ぬくらいのつもりのくせに何を無駄遣いしてんの?今この電車からアンタ一人消えるだけで誰かが早く家に帰れたかもしれないし車内が涼しくなったかもね』
 「…うるさい。」ポツリとつぶやいた言葉を、ただ一人イヤフォンをしていないサラリーマンが訝しげな顔をして聞き取る。ああ、ごめんなさい。あなたは何も悪くないのに。


 「要観察対象」の私が懇願してやっとのことで彼の元へ二泊の旅行へとこぎ付けた時、彼がコンビニで袋のラムネを二つ買った。
 「なにそれ」「ラムネは酔ってしんどいのに効くんだよ?しらないの?」
 旅行中、お酒が好きな私に二日とも付き合ってくれるという証のようで、なんだかとても嬉しかったのを覚えている。
 旅行の最終日、おそろいのビニールクラッチを買った私は、その日から必ずそこにラムネの袋を入れるようになった。甘いものが大好きでたまらない私だが、それに手を付けることは一切なかった。

 そして最初の約束に戻る。今度は二日の滞在だ。クラッチのラムネは三袋。一つ余分なのは、自分のためではない。「また次会ってくれる」と信じるためだった。


 『また買ったの?』
 「それがどうした。彼のために準備して何が悪い。」
 『何?気が利く女を演じているつもり?私はあの娘よりもよくできた女だよってアピールしたいの?そんな些細なことで彼が気づくと思ってる?本当、バカだね』
 「うるさい。」
 『心外だね。私はアンタなんだよ?』
 眼前に浮かぶのは布団とタオルとブランケットとストールとコートと…兎に角沢山の布に包まれて眼鏡をして、何の身だしなみもせず1/4も顔が見えない女。私がオーバードーズする直前。自信を失って寒くてたまらず部屋でクロッキー帳を鉛筆でがりがりと汚し、何も考えないようにヘッドフォンに大音量で死にたがりの歌ばかり流し大声で歌い続けるだけの生活をしていた時の私。
 『今までも散々だったじゃない。関係ない人を傷つけたよね?そんなアンタ生きてる価値あるの?』
 「それでも今はその人の分まで幸せになる」
 『傲慢だね。大事な人の、大事な人は?不幸せにしていいの?』
 「……。」
 『アンタはいつでも女の味方だったじゃんか。学校に行けなくなってもオーバードーズしても友達を守っていたじゃんか。』
 「…私は幸せになる。私はもう死ななくていい。幸せになっていい。彼が言ってくれた。今までとは違う。」
 『同じじゃん?また誰かが傷つくよ?それに自分が選んでもらえないことはわかっているでしょう?』
 「…やってみなくちゃわからない……。」
 『アンタが不幸せにしてきた人間への贖罪は?いつになっても終わらないくせにまた罪を増やすんだ。』

 ガタン。急停止した電車にアナウンス。彼女は消えた。いつもは煩わしいそれに感謝すらした。暑い車内だが、体が異常に寒かった。寒い。そう感じた瞬間にまた私は現れる。
 『どうせえらばれない』『今までの罪を見ろ罰を受けろ』『今すぐこの世からいなくなれ』『アンタなんか必要とされてない』『また自分のために無駄にお金を使った』『なにもできないくせに』『そんな性格で愛されるわけない』矢継ぎ早に。返事をする暇もなく。死にたいという苦しみを殺した医者の声が反響する。反響して反響して動けなくなる。首周りの髪をぐしゃりとつかむ。何度も浅く呼吸をする。
 「あっ、は…。」と声が漏れる。その自分を抑え込む。


 気づけば人はどっと減り、代わりに大荷物の大家族が乗り込んできた。週末だ、旅行だろうか。
 「よかったらどうぞ」私は仕事の時のように笑う。仕事の延長線なら笑える。大丈夫。
 『なに。善意のつもり?それが償いになるの?』うるせえよ。
 「ありがとうございます。」といった母親と少し世間話をする。この電車で見える子供が喜びそうなスポットや乗り換えを伝えたら、母親はとても喜んだ、ように見えた。

 『偽善者』
 黙れ。


 最寄り駅で降りるとき、私は一袋のラムネを取り出して、飽き疲れ始めた子供らに渡した。
 「いいんですか?」「買いすぎちゃって。」私は手を振って電車を降りる。これであと二日でおしまいだ。さよならだ。私は真っ当に素敵な人生を生きるんだ。


 そのとき、誰かが私の肩をたたく。
 『ねえ、あげちゃってよかったの?XXXX。』
 え?
 『彼と次、会えなくなっちゃうよ。いいの?』

 「………。」
 「いやだよ…。」


 暗い細道で泣き崩れる私に、二つのラムネがクラッチの中で踊った。

精神病持ちの邦楽好きでゲーム好き。健忘有り。 文章を丁寧に書くよりもその場で思ったことを勢いで書いていきます。 主に音楽、ゲーム、日常(疾病)についてです。