「嫌だな」って思う回数が減少している恐怖

1週間で1度も「嫌だな」って思わなかった。

年齢を重ねるごとに「嫌だな」って思う回数が減ってきた。
例えば、
・勉強するのが嫌だな
・営業に行くのが嫌だな
・上司に怒られるのが嫌だな

など、これまでの人生の中で嫌なことは日常で起こってきたはず。
しかし、ここ最近は自然と「嫌だな」って思うことが減ってしまった気がしている。ふと1週間を振り返っても出てこなかった。
これに対して大きな恐怖を感じている。

「嫌だな」は成長している証拠

「嫌だな」と思うということは、何かにチャレンジをしている状態だと思っている。
分かりやすい例だと、
筋トレをするのが嫌だな ⇒ でも、堪えて鍛えれば筋肉がつく
本を読むのが嫌だな ⇒ でも、本を読めば知識が増え、最終的に財産(地位・名声・お金など)になる

などなど。これは一例に過ぎないが、嫌だなって思うことは成長チャンスだったりする。

なぜ、減っているのか?

理由は2つあると思う。
1つは「選択肢を選べる立場であること」
もう1つは「若くないから言われない」

1つ目の選択肢を選べる立場であること
これは、それになりに一人前となり、それなりの立場(リーダーやマネージャー)になると起こり得ることだと思う。
上の立場になると選択肢が増えてくる。Aという作戦とBという作戦が2つ出た時に、選ぶのが仕事になる。
この時に、嫌だなって作戦をとるかとらないか。これは本人に決定権がある場合が多い。

2つ目は、若くないから言われない
「言ってもらえるうちが花だよ」。
そんなことを良く言われた記憶がある。
そう、"そんなこと"すらもう言われなくなっている。遠い記憶だ。
年を重ねると言われることは少なくなってしまう。
少なくなるのは単純に、若いやつに目がいくというのはあるが、「言ってくれる人を大事にしなくなっていく。」というのもある。
年を重ねると素直でいることはとても難しくなり、敬遠しがちになる。

どうしていくべきか?

原点回帰。当たり前のことを思い出す。

「嫌だな」って方を選択していくようにする。
これは嫌というよりも「困難」という言葉を使った方がしっくりくる。
もし目の前に2つの選択肢が訪れた時、困難な方を選択しよう。
きっとそれが自分の成長につながる。

「言ってくれる人」を大事にする。
長年生きるほど、固定概念が染み付いてる。変えるのは難しいのかもしれない。
でも、言ってくれる人は大事にした方が良い。なぜなら、「変えるのは難しい」ということを分かってて言ってくれるのだから。

早速、今日から

自らも現場におり、最前線で営業をすることを決めた。
もちろん感情的ではなく、色々な状況を加味して最良の選択をしたつもりだ。
凄く嫌だ(笑)

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