もう詰める時代とかは終わった。

僕がなぜ、こんな事を言うのか?

僕は幼少期からサッカーを本気でやっていたこともあり、非常に指導が厳しい環境で育った。社会人になってからも、昭和を知っている上司に厳しい指導(所謂、理不尽な指導)を受けた。
個人的にはこの経験があって、今の自分のメンタリティを築けていると思っているので、当時の監督や上司には大きく感謝している。
しかし、時代と共に「厳しさ」の在り方は変わった。
昔のように理不尽なこと(人を詰める)で人のコントロールはできない。
様々な要因があるだろうが、インターネットが発展し、自分と他者の比較が容易になったりしているのもその一つだと思う。
この時代をマネジメントする上で詰めたりする恐怖マネジメントは通用しない。断言できる。

時代に合わせられない人は排他される

この時代の流れに従わないものは、当然社会から排他されていく。
周りを見渡してみると少なからず感じるだろう。
恐怖マネジメントや、ベンダーや下請けを下僕のように扱う人たちは周囲から距離をとられている気がする。
実は僕もその一人であった。

これからのコミュニケーションに求められること

では、これからの時代に求められる資質とは何か。どのようなマネジメントが必要なのか。
当然若輩者の自分がそんな答えを持っているわけがない。
しかし、なんとなく分かってきたことがある。
それぞれのゴールが自由な社会であるが、一方でやりたいことがある人が溢れているとも思わない。
個人差はあれど少なからず組織への貢献意識があり、それなりの承認欲求がある。
そこを理解し、人にあったゴール設定と、組織としてのゴールの認識を共にあわせること。一人ひとりが何らかの形で貢献できる環境づくりと育成をしていくことが重要だと思っている。

でも最終的にはね

ノーロジックになってしまうけど、やっぱり愛情じゃないかな。
どんなに傾聴力のある上司でもそこに愛がなければ惹かれない。逆に言えば、厳しい上司でも愛情を感じることさえればついていこうと思う。
当然マネジメント時代は変化しているので、自身のマネジメントを見直す必要はあるが、1番大切なのは、感謝を言葉にしているのか、一緒に働きたいという気持ちを伝えられているのか、部下の将来を真剣に考えてあげられているのかという愛情の部分だと思う。
この愛情ってのは一生変わらないんじゃないかな。

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