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国を背負ってプレーする価値の低下 パリオリンピックサッカー日本代表メンバー選考より

久保建英、松木玖生、そしてオーバーエイジの不在。この日本代表にガッカリした日本のサッカーファンも多いのではないだろうか。しかしだ、そもそもなぜ国民はガッカリするのだろう。それは質の高い選手たちは出場する義務があると国民が勝手に思い込んでいるからだ。本当は期待することころまでしかできないはずなのに。つまりそういった選手たちは出場する“権利“を持っていることを意味するに過ぎない。決して出場する“義務“がある訳ではない。

◼️夢の舞台としてのオリンピック

ただそうは言っても、現状オリンピックは多くのアスリートにとって夢の舞台だ。だからほとんどの選手は別に“義務“でオリンピックに参加していると言う訳ではない。むしろ逆だ。努力を重ねた上で掴み取った、オリンピック出場権という“権利“を自らの意志で行使し、進んでオリンピックに参加している。私はオリンピック出場権をとった選手が泣いて喜ぶ姿を幾度となく見てきているのだから、それは間違いないだろう。

https://en.wikipedia.org/wiki/2024_Summer_Olympics


では、なぜ選手はオリンピックに参加したがるのだろう。それは多くの種目にとってオリンピックこそ世界最高のレベルの大会であり、最も価値のある大会だからだ。そもそもオリンピック自体、選手たちの思いから生まれたと考えることもできる。かつての選手たちは試合を重ねる中で自然と誰が(どこのチームが)世界で一番強いかを決めたいという思いが強まったのは想像に容易い。その結果生まれたと考えても不思議ではないだろう。事実、それは確かで大きな要因であったと思う。

しかし世の中なにごともそんなに自然にできていくとは限らない。お金になる、影響力がある、そういったこと分かりはじめると、途端にそれを利用しようと考える者が出てくる。ではそれを確認するために、近代スポーツの歴史を振り返っていこう。


◼️近代スポーツの歴史とナショナリズム

戦前までの近代スポーツの歴史をおさえる上で多木浩二『スポーツを考える━━身体・資本・ナショナリズム』を参考にざっくりとまとめた。

①イギリスの特権階級の人々の間で生まれた
・政治から余暇にいたるひろい社会領域を非暴力のゲームにする歴史的な段階にさしかかっていた。(議会制度化)
・ネーションというかつての実質的な共同体に代わる、基本的には幻想でしかない空虚な共同体に根拠をおくことから始まった。
②学校教育へのスポーツの導入→ルールの確立+協会の成立
非暴力モデルの身体化
③スポーツの大衆化
・労働者階級への普及
・植民地への伝播
・プロ化への芽生え(資本主義社会へ)
④近代オリンピックの始動(1896年)
⑤オリンピックのナショナリズムへの利用
・1936年 桁違いの規模と祝祭的な壮大さのベルリンオリンピック(ヒトラー統治化)

『スポーツを考える━━身体・資本・ナショナリズム』
https://www.t.hosei.ac.jp/~ssbasis/nationalism.html


スポーツを大枠で捉えるとスポーツの原型は必ずしも特権階級から生まれた訳ではない。しかし近代スポーツに限定して考えると、まずは特権階級の間で広まった。そしてそれがやがて大衆化、国際化して、普及していく。その過程で草の根的にルールが確立され、協会が設立され、オリンピックのような国際大会の下地が整っていった。そして1986年に近代オリンピックの第一回がアテネで行われる。そしておそらくそれから1936年のベルリンオリンピックが開催される前までの期間が最もスポーツが他から邪魔されずに本来持っている力を遺憾無く発揮していた時代だった。というのは、スポーツが誕生した当初はネーションやムラ社会の共同体に代わるものだったからだ。スポーツには新たな都市のような自由さがあり、階級の境を曖昧にした。しかし再びネーションに回収され、ナショナリズムに利用されるようになってしまった。

オリンピックの選手はかつて個人だった。いまや国家の代表である。(中略)スポーツ
のレベルは国家文明化の度合いを表象しているように思われる。(中略)オリンピックはスポーツのゲームであるが、国家間の政治的な優劣を競う場に変質してしまうのである。(中略)スポーツの勝敗に国家の威信が掛かる。

p68『スポーツを考える━━身体・資本・ナショナリズム』
https://mainichi.jp/graphs/20160813/hpj/00m/050/010000g/20160813hpj00m050106000q


しかしだ、再び回収されてしまったということは、この呪縛から逃れることも可能だということを意味していることにもならないだろうか。多木はこのようにも述べている。

ネーションを廃絶することは今のところすぐには望めないが、それは絶対のものではない。スポーツに限っていうと、ネーションを相対化することはできるのである。今、スポーツが面白いのは、他では考えれないこの相対化が想定できるからである。現実にネーションがあるという事態を使いつ反転し、当然のごとく思われているわれわれの帰属意識、あるいはその意識を強いる象徴権力を完全に相対化する思考の実験がスポーツには可能である。今、自由な社会的人間にとって本当に必要なことは「国家」の威力を出来るかぎり縮小することである。

p179 『スポーツを考える━━身体・資本・ナショナリズム』


では、どうしたらこの呪縛から逃れること可能だろうか。サッカーをもとに考えていこう。


◼️オリンピック < サッカーW杯 < ?? 

まずサッカーとナショナリズムの関係を見ていく前に、サッカーにおけるオリンピックとW杯の関係を見ていこう。先ほども述べたが基本的にどの種目でもオリンピックが一番レベルの高い大会になっていて価値も高い。しかし数種目のスポーツでは、オリンピックよりも高い価値を有している大会を持っている。野球のWBC、ラグビーW杯、そしてサッカーW杯。特にサッカーW杯に関してはオリンピックよりも明らかにレベルが高い。なぜならオリンピックには原則23歳以下という年齢制限が設けられているため、レベルが下がってしまうからだ。そして必然的に注目度も比べ物にならないほどの差がある。そのためサッカーW杯はナショナリズムの象徴のようになってしまったオリンピックを相対化していると面で貴重な存在だ。

しかし、もうお分かりだろうか。オリンピックもW杯も代表チームが参加するのには変わりがないので、構造は同じだ。むしろ世界の多くの国でサッカーは国民的スポーツになっている。だからオリンピックに比べより一層代表チームと国が一体化している。代表チームの成績が国民にとって本当に自分ごととして考えられていて、国のレベル、誇りに直結している。じゃあなぜ、具体例としてサッカーを選んだのかというと、サッカーにはクラブの世界一を決めるW杯(+UEFAチャンピオンズリーグ)があるからだ。

https://www.dazn.com/ja-JP/news/サッカー/20221218-wc-match-review/15mj38sv01l9nzhrpul48z2k4


◼️個人と世界は難しいが、クラブと世界なら・・・

スポーツとナショナリズムの関係を批判的に捉えると、理想は個人と世界を繋ぐことになる。選手を一個人のプレーヤーとして捉え、直接世界的な競技大会に繋ぎたい。しかしそれは現実問題なかなか難しい。どうしたって選手をどこ出身の選手として捉える傾向にあるし、個人と国際機構の媒介として国が出てきてしまいがちだ。

しかし、個人と世界の間にもうワンクッション、クラブというものを挟むと見え方が変わってくる。なぜならクラブというものは何より国籍のように“選べない“ものではなく、“選べる“ものだからだ。

基本的にサッカー選手は世界各国のどこかしらのクラブに所属している。そして日々そのクラブで、主に週末に行われるリーグ戦に向けてトレーニングを積んでいる。そしてリーグで優秀な成績を残すとそのままヨーロッパやアジアといった地域ごとの大会への権利を得られ、さらにそこで結果を残すとクラブW杯というクラブ世界一を決める大会への参加権が与えられる。クラブのまま世界一の称号得られる機会がどのクラブにも与えられている。そしていまやヨーロッパナンバー1クラブを決めるチャンピオンズリーグは国籍ごとのチームで戦うW杯よりもレベル的には既に超えている。

つまり、個人と世界を繋ぐ間にクラブを挟んで世界一をかけて行われる大会はスポーツにおける国籍を相対化するポテンシャルを十分秘めている。それがうまくいった暁には生まれながら運命付けられてしまったものからの相対的な解放を実現した世界があるだろう。選手個人は自分で選んだクラブを中間に挟みその上で世界と繋がり、世界の頂点を目指すことができる。

しかしそういった環境が整った今でもなお、チャンピオンズリーグ(+クラブW杯)の注目度(視聴者数)はW杯に到底及ばない。ではどうしたらいいのか。最後のピースはなんだろう。

https://ja.wikipedia.org/wiki/UEFAチャンピオンズリーグ


◼️国を背負わない選手

最後の一押しは国民ではなく選手に委ねられている。しかもできたら代表の中心クラス、欲を言えば世界的にもそれなりに名の知れている選手が望ましい。その選手がこのように表明した時、スポーツ界が、社会が次の段階に行くときである。


「W杯への参加を辞退します。」


「ここ一年ずっと悩んでいたんです。というのは生まれは日本の山梨で、国籍も日本でミックスルーツという訳でもないんですけど、私は日本人なのかなって。小さい時から日本という国に対してしっくりこない感じがあったんです。もちろん、地元に帰ったら懐かしい感じがするのですが、だからといってそれが私が日本人であることにつながるかと言われるとそうでもなくて。それに比べて、今所属しているドルトムントはしっくりくるんですよね。もちろん最初はファンともチームメイトともどこか距離感があったし、私自身キツかった部分もありました。でも2シーズン前の第17節だったかな?ホームでのフランクフルト戦でのゴールをきっかけに変わりました。なんというか、「あ、認めてくれた。」という実感があったんです。もちろんそういう感覚は幼少期からさまざまなクラブでプレーしてきたので以前にもありました。でも今の感覚はそれとはまた違って、なんというか、違うんですよね。半永久的な信頼というか、家族的な信頼というか、いや家族というのとはちょっと違って。もちろん選手である以上、結果を残さなかったら叩かれるでしょうし、というか実際そういう時も多々あります。でも、そこにはリスペクトというか、愛というか、うーんなんと言うんでしょう、それにぴったりの言葉が見つからなくて悔しいのですが、うーん、何があっても、ぷつんとは切れない糸のようなものをはっきりと感じるんですね。これはなんというか初めての感覚で、まだ自分でも分からないのですが、ドルトムントでプレーしている時、特にチャンピオンズリーグでプレーしている時の、あの、チームと一緒に、チームと一緒にというのはチームメイトはもちろんのことドルトムントのファンの人たちと一緒に戦っている、あの感覚を超えるものはいくらW杯でもないだろうと思えてしまうんです。W杯に出場したことはないので本当のところは分かりませんが、それでも自分の中では絶対に超えられないだろうと思うんです。光栄なことに私はこれまで日本代表としてここまで十数試合に出場させてもらいました。初めて日の丸をつけてピッチで国歌を聴いた時のあの気持ちはきっと忘れることはできません。でもいつの日からか、正体の分からないどこか違うという感覚が生まれてしまって。それは時間が経つにつれて増すばかりで‥。そしてついに自分の中で到底無視できないレベルまできてしまったんです。それは最終予選のホームでのカタール戦。W杯出場を決めた瞬間でした。みんなが歓喜に沸く中冷めてしまっている自分がいた。それをはっきりとありありと感じてしまった。今の状態でチームに参加するのは、チームやファンの皆様に対して不誠実だと思い、このような判断をさせていただきました。あと、すみません、最後に一つだけ。今喋ったことは本心ですが、それと同時に意識的にこの決断をしたというか、分かったことが一つあります。人は生まれると意志に関わらず、国籍が与えられ、誰かの家族になります。それに支えられている人はたくさんいる。その一方で、それらに縛られ苦しんでいる人たちも一定数いる。世界には本当に多様な人たちがいて、そのようなことを考えた時、W杯が国籍という生まれながら所属させられてしまうものに基づいて行われることに違和感を感じました。それは事実であり、私のこの決断に影響を与えた要因の一つだということはお伝えしておこうと思った次第です。本日はお集まりいただきありがとうございました。そしてここ一年ほどの不誠実だったかもしれない、日本代表でのプレーについて深くお詫び申し上げます。大変申し訳ございませんでした。

インタビュー (フィクション)


参考文献
ヘッダー画像 https://web.gekisaka.jp/news/japan/detail/?409649-409649-fl
多木浩二 『スポーツを考える』
國分功一郎 熊谷普一郎 『<責任>の生成──中動態と当事者研究』




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