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サッカーが好き過ぎて…

少年時代、運動嫌いだった私に何科スポーツをさせようと、父親に連れて行って貰ったサッカーの興奮を忘れられず、サッカーが大好きになった。

中学校受験をして、私立中学へ合格したら、サッカー部に入っていいと母親に言われて、受験勉強を頑張って、私立中学校へ合格し、晴れてサッカー部に入る。しかし、小学校時代に運動が苦手だった私は選手としてはダメでしたが、サッカーをするのが大好きで部活は続けた。そのまま、高校のサッカー部に中等部から初めての部員として入部するも、学業成績が酷かったので、母親から「大学受験のために部活を辞めて!」と強要され、退部を決意し、退部届を出しに行ったところ、顧問から「マネージャーとして残ってほしい」と言われ、退部届は受理されなかった。母親宛に、顧問の先生、担任の先生、そして当時のキャプテンの先輩からも電話があり、単身赴任中だった父親のところへ行って、男同士で話をした。母親のことは父親が説得したようで、マネージャーという立場で約1か月半の休部期間を終えて復帰する。それは、私が高校2年生。Jリーグが誕生した1995年の夏だった。

それでも、中等部からの進学コースの中では成績は上がらず、中等部時代にサッカー部だった仲間からも「まだ、高校のサッカー部でやってるよ!」みたいな白い目で見られた。中には「大学受験があるのに、いつまでサッカーやってんだよ!」って、殴りかかってくる奴もいた。でも、自分はJリーグでマネージャーをしたいという夢を抱き、大学も体育系の強豪大学への進学を目指していた。様々な大会の補助役員などでは生徒のとりまとめ役を務めたりしながら、大学受験も現役で強豪の順天堂大学へ合格。大学でもマネージャーを続け、4年時には主務としてチームを支え、関東大学選手権優勝、総理大臣杯全日本大学サッカートーナメントで3位、関東大学サッカーリーグ戦1部2位という成績を残すことができた。
しかし、大学4年の卒業時は、ちょうどJリーグバブルが弾けたあとで、全国の大学でチームのマネージャーとして就職した人間は1人だけだった。

その後、人材派遣会社に就職し、3年後に結婚をする。その結婚の報告で母校の順天堂大学の先生方に報告へ行ったところ、期限付き助手として戻ってきてサッカー部を手伝ってほしいと頼まれて、その後はどこかJリーグのチームへの就職を視野に入れて、大学職員として2年間勤務する。

しかし、娘が生まれたことを機に、サッカー界に関わることへの夢を諦めて、一から社会人として、自分の力を試そうと思い、大学の先生にお願いしてOBを通じて、サッカーとは全く無縁の製造業の一般企業へ転職を決意。

しかし、私がその会社に入社した年に、川崎フロンターレがJ1に2度目の昇格を果たし、私の会社の取引先の富士通から「等々力競技場の年間チケットを購入して欲しい」という依頼があったらしく、「そういえば、大学時代にサッカー部のマネージャーをしていた奴が総務に入ったらしいから、そいつに担当してもらおう!」ということになって、私がフロンターレとの窓口をすることになって、サッカーと関わる仕事をするようになった。
そして、フロンターレの担当者の方とは1つしか年齢が変わらず、色々と話をしていくうちに共通の知人がいることが分かり、意気投合をすることになった。その数年後、オフィシャルスポンサーをさせて頂くことになり、当時の川崎フロンターレの武田社長とも面識を持たせてもらうようになると、私が大学時代にお世話になったOBの方が武田社長の同郷だということで、武田社長にもよくして頂くことになって、一時は川崎フロンターレの練習着の胸に当社のロゴがついた時期もあった。そして、川崎フロンターレさんとのお付き合いの中で、キックオフパーティーという選手とスポンサー企業の社長や担当者が交流するパーティーにもずっと参加をさせて頂いて、フロンターレの選手の皆さんと仲良くさせて頂くようになった。(もちろん、個人的な連絡先は知りませんが)パーティーの度に顔を合わせるようになって、選手にも顔と名前を覚えてもらえるようになった。

大学時代からマネージャーをしていたので、当時大学で一緒に戦った先輩、同級生、後輩でも多くの選手がプロの世界で活躍をした方もたくさんいて、そういう人たちとの繋がりはもちろん、川崎フロンターレの選手やチーム関係者の方に名前を覚えて貰って、いろんなことを一緒にさせて貰っている。

そして、子供たちもサッカーをしてくれた関係で、地元の少年サッカーチームで事務局をさせて貰っていて、それは子どもたちが居なくなった今でも関わらせてもらっています。その関係もあり、長男は今、専門学校に通いながら、その少年団のチームでコーチをしています。その当時から結構有名だったのか?今でも、いろんなところで、声をかけて貰えます。

また、私が40歳を迎える年に大学の先輩からシニアチームを立ち上げるから、色々とやってほしい!と言われ、選手兼マネージャーという立場でシニアサッカーチームで活動をしています。そこでは、私が大学のマネージャーをしていたのを覚えている対戦チームの方がいたり、自分と同年代、全国で活躍した選手たちがいたりして、シニアになって、元プロ選手の後輩に叱られながら、結構真剣にサッカー選手としてプレイしている自分がいます。

好きこそモノの上手なれ
という言葉がありますが、本当に中学校時代から本格的に始めたサッカーではありますが、人生をこうして振り返ると、何度もサッカーから離れそうになった時はありました。それでも、サッカーが大好きでいたからこそ、運命みたいに何度もサッカーに関わる生活に引き戻されている自分がいる。
しかも、熱狂的なサポーターという立場ではなく、サッカーチームに関わる仕事、少年たちにサッカーを好きになってもらう育成年代、そして、自分自身がプレイを楽しむシニアサッカーをしながら、少年サッカー年代の委員会やシニアサッカーの委員会のメンバーとしても仕事をさせて貰っている。こんな風に、生活の一部として、常にサッカーのある生活を送れるなんて、考えてもいませんでしたが、今は一番下の次男坊が高校でサッカーを頑張って続けていて、その応援も含めれば、毎週土日はサッカー三昧の生活を送っていることに、感謝しています。

だから皆さんも大好きなことは、とことん好きになってほしいと思います。そう念じる気持ちが本当に強ければ、きっとその大好きなことに関わった人生を送れるんじゃないかな?って思います。中学生や高校生の時の自分では想像もしていなかった未来を過ごしている。そんな想いで、投稿しました。

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