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大学サッカー部のマネージャー時代

大学サッカー部のマネージャーになって、とにかくグランドに立っている時間は幸せだった。
授業が終わってから、練習前のグランド整備とライン引き(今は人工芝のグランドが多く、ラインカーを使ってラインを引くなんてしないんですよね。)から、1年生全員で協力して、グランド整備をして、ラインを引く。16時10分に授業が終わって、Aチームの練習が始まるのが16時30分。その20分間で授業で使ったグランドにトンボを掛けて、ラインを引く。マネージャーは、パイロンコーンやボール、コーンマーカー、ビブスなど練習に必要なモノを準備する。練習中に吞むジャグボトルはトレーナーが準備をする。

マネージャーとしての事務仕事ももちろんあった。ただ、個人的には練習中にマネージャーはグランドに居るモノだろう!っという考えがあったので、主務の人や先輩のマネージャーから練習中に事務作業を頼まれても、基本断っていた。笑(1年生のくせに、生意気だったなぁ~。)
同級生にもう一人いたマネージャーは、練習中の事務作業を手伝っていただけに、事務作業を覚えるのは遅かった。二人の中では、そういう分担にしようね!ということで話がついていたので、特に問題はなかった。

5チーム分に時間を分けられた練習中はグランドに立つ

16時30分からAチームとBチームが18時までグランド全面を使って練習をする。18時からC1チーム、C2チーム、そしてDチームが19時30分から練習を開始して、21時にチームとしての練習が終わり、そのあと22時のグランドの照明が消灯までの自主練をする選手がいる。自主練に切り替わるまではグランドにずっと立っていた。笑
本来は主務がAチーム。2年生の先輩がBチームとC1、C2チームを担当していて、1年生はDチームのマネージャーを担当することになっていたが、部長先生からの推薦も受けた過去の投稿記事参照ことがあって、最初から好き勝手にやらせて貰えた。そんな長時間、グランドに立って何をしているの?

単純にグランドのボール拾い。練習備品の片づけ、倉庫整理等をしていた。あとは怪我人のリハビリでボールを蹴ったり、チーム練習が終わったあとの個人練習の相手をしたりと、とにかくグランドで全カテゴリーのチームの選手とコミュニケーションをとることが、最初の重要な仕事だと思っていた。

公式戦の前日には、ベンチ入りメンバーのユニフォームを準備したり、試合会場に持って行く備品などの準備も行う。1年生の時には、学内の寮に住んでいたので、練習でグランドに立ちたいために、早朝6時ごろに準備をしたたこともありました。笑
公式戦が終わったあとのユニフォームの洗濯は1年生数名にお願いをして寮の洗濯機で洗濯してもらって、それを回収してユニフォームをきれいに畳んで、回収ボックスに片付ける作業も好きだった。綺麗に番号がちょっと見える感じできれいに片づけられると嬉しくなっていました。笑
好き好んでやっていたこともあり、結婚後の家事も苦になりませんでした。

150人を超える大学サッカー部のマネージャーとしての心構え

とにかくカテゴリーに関係なく、全部員と分け隔てなくコミュニケーションが取れるマネージャーでなければ、選手から信頼を勝ち取れないと思った。Aチームの選手とだけ仲良くするマネージャーでは、信頼を得られない。
そこの信念だけは曲げられなかった。4年生の主務になった時も、チームの事務業は基本、授業の無い時間にサッカー研究室で、一人でやることが多かった。だから4年生で授業がほぼ無かったが、ほぼ毎日大学に普通にいた。
本来であれば、就職活動をしたり、はたまた遊んだりしていてもおかしくない年頃だったが、ずっと大学でサッカー部のことをほぼやっていたと思う。

もちろん、それを他のマネージャーに強要をしてはいないはず…笑。
後輩たちには、1年生の時は夏合宿までの期間は、私の最初と同じように、とにかくグランドで全カテゴリーの練習に出て、顔と名前を覚えるのと、先輩や同級生に顔と名前を憶えて貰え!というふうにさせた。夏合宿で各チームにマネージャーの担当を振り分けたあとは、後輩たちなりのやり方を考えていけばいいという話はしたと思う。【あまり覚えていない。最悪だな】

学年が下の間は、どちらかというと雑用係的なマネージャーであることが多いが、学年が上がって3年生にもなれば、チームのマネジメントを任される立場に変わる。試合会場への移動時間の連絡、集合時間、ユニフォームの準備の連絡はもちろん、リーグ戦などの公式戦での補助学生の連絡、審判割り当ての試合の連絡など、選手である部員に指示を出し、動かす立場になるわけですから、ちゃんとした人間関係がなければ、指示も聞いてませんし、お願い事をする時に、引き受けてくれなくなる。最悪の場合には、依頼したことを忘れてしまって、公式戦でそんなことされたら、大変なことになる。
だからこそ、1年生の時にグランドに立って、選手たちからは「わっき~先輩が出ろって言ってるんでしょ?マジで厳しい先輩だよな~!!」なんて言われていたようですが、そうやって可愛がられることで、その後の仕事がやりやすくなるはずだという信念から、事務作業は徐々に覚えて貰っていた。

自分が大学時代にどんなマネージャーだったか?についての具体的なエピソードは別の投稿でちょいちょいご紹介していこうと思いますが、こういう心構えで、私は自分の夢であったJリーグへの就職の夢はかないませんでしたが、2つ下と3つ下で入部してきたマネージャー志望だった後輩たちを指導して、2人ともJリーグのチームでマネージャーとして就職して活躍しました。
2つ下の後輩は、マネージャーから強化部(スカウト)に異動し、その後、育成部の事務局長をやって、今でもそのチームで地域貢献活動の責任者として活躍しています。
3つ下の後輩も、Jリーグのチームへ就職し、マネージャーとして勤務をしたのちに、日本サッカー協会へ所属を移し、各世代の代表チームのマネージャーとして活躍して、今でも日本サッカー協会で仕事をしています。

もちろん、彼ら自身の努力があって今があるわけで、自分には努力が足りなかったから、夢を実現できなかった。単純にそれだけの違いです。大学時代はこんな主務の先輩は他に居ないだろうな~って思うくらいの先輩だったと思いますが、後輩2人には社交辞令でも「大学時代、わっき~さんに教わった事が今に活きてます!」と言って貰えるのは、本当に有り難いことです。

ちなみに、俺の同級生も最初は一般企業に就職をしましたが、その後Jリーグのチームへ転職して、チーム運営の方で活躍し、今は地元にあるJリーグのチームで運営のお仕事をしています。(大学時代にイキっていた俺だけがサッカー界で仕事をしていないという何とも情けない話です・・・😢)

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