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モヤモヤ感がもたらしてくれたモノとそのために必要だったアイテムとは



モヤモヤ感でいっぱいの日々

先日、病院へ行き、主治医の先生と相談し、復職することに決めました。

病気休暇に入り、今日までの間、たくさん本を読んで、ああでもない、こうでもないと自分自身と対話し、考えたことを書いて、また考えて…、そして、そのことを大切な人たちに聞いてもらい、鏡となって返してもらい…、また考えてというようにして時間を重ねてきました。

最初のうちは、早く頭の中をスッキリして前に進んでいきたくて、モヤモヤしたものが残っているだけで気持ち悪い、苦しい…そんな気持ちでした。

これまで、いわゆる全か無か思考の癖により、「働く目的は、人生の目的と一致しているべきで、それが見いだせないのならば、意味がない」と言い聞かせ、他を切り捨てることで、スッキリ感を手に入れてきました。

しかし、わたしの友人であり、よりよく人生を生きていこうとする同志であるAさんが紹介してくれた、東畑開人さんの『なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない』という作品に、ちょっと待った!をかけられました。

読み進めていくうちに、スッキリしていた頭の中が、モヤモヤ感でいっぱいになっていっていきました。

「わかる」ことには苦しさがあります。見たくなかった部分に目を向け、触れたくなかった部分に触り、考えるのがつらいことになるから当然…

『なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない』

今まで、わかっている、見えているつもりでいた自分自身のことについて、もう一度、下のようなことに対して、自問自答していくこととなり、スッキリとしないモヤモヤ感が続きました。
・そもそも自分にとっての働きづらさや生きづらさとは何か?
・いつから、何があって、そんな気持ちをもつようになったのか?
・それからどうしたのか?
・今、そのことをふりかえってみてどう思うのか?
・あらためて、今後の人生をどう歩んでいきたいか?
・そうであるならば、病気休暇明けに同じような気持ちにならないようにどうする?
・一番不安に思っていることは何か?
・意味がないと思うことは本当に意味がないことなのか?
・どうして意味がないと感じるのか?
・働きづらさ、生きづらさの感情を生む、私自身の心の捉え方とは?
・そのような心の捉え方をするのはどうしてか?

上記のような自己探索をしながら、モヤモヤ感を抱えた日々を経て、決断したことは、退職して転職や起業することでも、転勤や役職変更を希望するものでもありませんでした。

これまでと同じように公立学校で、これまでと同じ役職で働くということでした。
そこで、できることをこなし、教室に入れていないあの子達の卒業していく姿を見届けるんだという決意です。

外に見える行動は、結局何も変わりませんでしたが、そこに、自分なりの意味付けをし、魂を入れることができたという点で、わたしにとっては、全く異なったものになったと思っています。

東畑さんは、著書の中で、スッキリとモヤモヤについて、以下のように定義してくれています。

僕らは、「自分ではないもの」にさせられると、傷つきます。
受け入れがたいことを言われると傷つくし、同意していないことを無理矢理させられると傷つく。勝手に自分の自分の生き方を決められてしまうなんて最悪です。

だけど残念ながら、社会で生きるには、自分じゃないものに取り囲まれ、自分じゃないものへと変形させられることをある程度は受け入れざるを得ません。

すると、僕らの心にどんどん非自分が増殖していきます。
気づけば自分の人生が偽りだらけになってしまう。
だから、ときどき、そうやって増殖した非自分を排泄する必要がある。
スッキリとは、「自分らしさ」を取り戻すための心の守り方です。

『なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない』

スッキリが非自分を排泄して、自分らしさを回復させてくれるのに対して、モヤモヤは非自分を溶かして、自分の一部にしてくれる。
それを世間では、「成長」とか「成熟」という。

『なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない』



モヤモヤ感がもたらすモノとは

わたしは、早くモヤモヤを取っ払って、スッキリしたいと思っていました。

しかし、モヤモヤがもたらすモノは、自分らしく生きていくための推進力であり、防御力といった「生きていく為の力」に変化をとげると考えると、苦いと感じるものでも、簡単に排泄せずに、溶けて身体の栄養の一部になるまで、抱えておくことも大切なことだなと思えるようになりました。

ジャンルは異なりますが、わたしの大好きなアーティストである、ゆずが、『旅立ちのナンバー』という歌の中で、次のように歌っています。

旅立ちの唄 日々の夕暮れ
重なっては 繋がってく
今立ちふさがる闇を抜けて
辛さや痛みや弱さの中で
見つけた その優しさを
生きていく為の力に変えて

ゆず『旅立ちのナンバー』



モヤモヤ感が身体の栄養になるために必要なアイテムは

では、このような化学変化を生じさせるために必要なアイテムは何なのでしょうか?

わたしは、今回の経験の中で、それは以下の5つのアイテムだと考えました。
①時間
②心のゆとり
③本
④思ったことを書く
⑤伝える相手

人生の中で最初で最後かもしれないくらいの、ゆとりある時間があったからこそ、ここまで自己探索を続けてくることが出来ました。

そこで、本を読み、自問自答し、考えたことを書くということも毎日続けてくることができました。

それだけでも、客観的に、「自分の心をみる」ということにつながったと思いますが、誰かに伝えるということで、より一層そのことは深まったと思います。

周囲に頼れる他者がいないとき、スッキリとモヤモヤは、どっちにしても心を守ることはできません。そういう時にとるべき行動は、スッキリでも、モヤモヤでもなく、他者に助けを求めることです。

『なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない』

心はどこにあるのか。脳にも、心臓にも心はない。顕微鏡を覗いても、X線を使っても、そこに心は映らない。心を見ることができるのは心だけだ。心はもう一つの心の中でのみ存在することができる。

だから、私の心に彼の心を置き、それから彼に戻す。一旦預かるのが大切だ。すると、次は自分で自分の心を振り返れるようになるかもしれない。心に心をおいておけるようになるかもしれない。この繰り返しが対話の本質だと思う。

心が一つ存在するためには、心は必ず二ついる。

『心はどこへ消えた』東畑開人

自分の心をみるためには、誰かが必要なんですね。

今後も上記の5つのアイテムを獲得しながら生活していくことを意識していきたいと思います。


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