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Photo by
hayabusa_itaya
たかが言葉 されど言葉
今日は、小4の息子のサッカーの試合観戦に行ってきました。純粋にサッカーを楽しみつつも、いつもコーチの言動等コーチングそのもののに意識がいきます。
今日も対戦相手チームのコーチが、「全部(悪いのは)お前だよ」「もう出なくていいよ」「このチームめちゃくちゃだ」「調子のいいときだけ声出すんじゃないよ。(うちのチームに押されていて声が出ていなかった)」「ほらまた同じことするよ。もういいよ。やられたらいいんだよ。」…
聞いていて気分が悪かったです。直接関係のない私たちでもそう感じていたのだから、チームの子どもたちや、その保護者はもっと心が痛んだろうと思います。
失敗したことを叱責されることやヤジられることが続くと、子どもは、トライしようとする意欲がなくなり、意欲がないことをまた叱責され、サッカーそのものを嫌いになるのではないでしょうか。
コーチングとは「導くこと」だと聞きました。
息子はサッカーが好きで、自分でサッカーを習いたいと言ってきました。
大人の無理解な熱心さのために、一番大切な「好き」という気持ちを奪ってしまってはいけない。
「嫌い」へ導くことがコーチングではないと思います。
「たかが言葉」かもしれませんが、されど、子どもの心や身体の成長に大きくかかわるものだと思います。
そして、コーチだけではなく、子どもの成長にかかわる大人ならば、「たかが子ども、まだ子ども」ではなく、子どもだからこそなお一層、投げかける言葉には意図と責任をもたないといけないなと思いました。