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ドイツでスプートニクの恋人を「聴く」

海外で生活することは昔に比べてずいぶん楽になった。

自分は90年代から海外と日本を行き来しているが、インターネットもスマホも無い時代、海外で生きることは日本と隔絶することと同じだった。

日本のテレビが見れない。
日本の雑誌が読めない。
日本の本が読めない。
日本の友達と話せない。

それが当たり前だったのだ。

それが今はどうだろう。

ほぼ日本と変わらない情報が手に入り、大切な人といつでもコミュニケーションが取れる。

むしろ海外にいる方が頻繁に連絡をとったりする人もいるくらいだ。

これがどんなにすごい事なのか、今の若い人は実感として分からないかも知れない。

スマホが一台あれば、本当にすべてが出来てしまう。すごい時代だと思う。

最近はスマホでAudibleを聴く事にハマっている。

自分は村上春樹が好きなのだが、ドイツのハイウェイを運転しながらAudibleで村上春樹を聴いているとしみじみと心に言葉が入ってくる。

最近、久方ぶりに「スプートニクの恋人」を読んだ。

というか、Audibleで聴いた。

Audibleには村上春樹作品が結構あるのだが、いろんな本をいろんな人が朗読していて面白い。

スプートニクの恋人は宮崎あおいが朗読している。

この宮崎あおいの朗読がとてもよく作品にハマっている。

彼女のキャラと声が「すみれ」にぴったりだと感じた。

すみれの若さ、無謀さ、孤独。

それらが宮崎あおいの声にのって聴くものの心を揺さぶってくる。

スプートニクの恋人は自分がとても好きな作品で、20代で初めて読み、30代でも何度も読み、そして40代でも読み、そして今回50代になって初めて読んだ(聴いた)。

よく考えるともう20年以上、何度も読み続けている。

それだけ自分にとっては大切な作品となっている。

自分が歳をとり、考え方も変わり、経験を重ね、そのたびに作品の感じ方も微妙に変わって来た。

50代ではじめて読んで、すみれという若い女性の儚さと若さを改めて強く感じた。

すみれというキャラクターが愛おしく、悲しく、心に突き刺さってくる。

それは、自分に娘が出来て、すこしづつ成長しているからかもしれない。

自分の娘がこれから人生で経験する希望や絶望をすみれに重ねて聴いていたのかもしれない。

宮崎あおいの声と表現はすみれにとても良くハマっていて、久々に貴重な読書体験が出来た気がする。ありがたい。

それにしても、久々に再読して改めて思った。

すみれはどこに行ってしまったのだろうか。

「ぼく」とミウはもう二度とすみれに会えないのだろうか。

なぜ村上春樹は愛し合う三人同士が永遠に会えないような悲しい話を作ったのだろうか。

そして観覧車シーン。

ミウが観覧車から自分のアパートの部屋の窓から自分のドッペルゲンガーを目撃するシーンで感じる恐怖感。

読書という体験でここまで恐怖を感じさせる作家のすごみを感じる。

まるで自分自身の存在が突然危うくなったような怖さ。

本当に怖い。

そして悲しく孤独で、いとおしい。

そういう作品。

話の舞台の半分くらいがギリシャなのだが、昨年ギリシャに行ってその風景を思い出しながら情景を思い浮かべ、また違った味わいがあった。

ちなみにトップの写真は数年前にギリシャに行ったときに撮った写真。

ギリシャはヨーロッパで訪問した場所では一番お気に入り場所。

乾いた土地。碧い海。シンプルな食事。

歳をとると、余分なものが受け付けられなくなる。

原始的な喜びを得られるものが欲しくなる。

ギリシャはそういうおっさんの欲を満たしてくれる場所だった。

・・・

Audibleは定額で聴き放題なので、かなりお得だと思います。

海外で聴く日本語は頭に染みる。

お勧めです。






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