映画『イミテーションゲーム』感想:天才と孤独と寂しさ

この映画には常に、孤独と寂しさの香りがする。誰にも理解されない。自分の考えを理解してもらえない。そして、歴史的な偉業すら、生前讃えられることはなかった。アランチューリング。彼の背中にはいつも哀愁がただよっていた。子供の頃、仲良くしていたクリストファーという親友を突然亡くした。本当に突然。チューリングの学生時代にとって、彼の存在がどんなに救いだったか。自己表現が下手で、独自な思考を持つがゆえに彼は子供の頃から孤独だった。そんな彼が心を許せる唯一の相手、それがクリストファーだった。彼とは、全てを許し合えている仲だと思っていた。それなのに、彼は病気のことも告げず突然いなくなった。チューリングにとって、それは二重の意味で裏切りだっただろう。ひとつは、突然いなくなったこと。そしてもう一つは、病気のことを告げてくれなかったことだ。きっと、チューリングにはクリストファーの配慮が理解できなかったんだとおもう。病気のことを告げたらチューリングは相当ショックを受ける。だから、何もいわず楽しく過ごそうとしたのだ。だけど、それはチューリングにとって裏切りでしかなかった。彼は深い傷を負ったまま、大人になり、エニグマの暗号解読へと挑むことになる。チューリングは自信が開発したマシーンにクリストファーと名前をつけた。きっともう一度会いたかったのだ。クリストファーと名前をつけて、向き合うこと。その向き合う時間はチューリングにとっての癒しだったんだろう。ラストシーンの発狂から読み取れる。マシーンを失うことは、クリストファーを失うことなんだ。二度目の喪失にチューリングは耐えられない。ラストシーンを見ていて、胸が張り裂けそうになった。寂しい。寂しさを埋めてほしいのだ。誰に?クリストファーに。だけどそれは叶わない。寂れた部屋に、片付いていない食器、部屋の端で鎮座する無機質なコード。治療で震える手。伴侶もおらず、ただ孤独にマシーンと向き合う日々。歴史的な偉業も称賛されず、自分が行ったことの正しさを誰も認めてくれないし、極秘であるため誰にも話せない。なんて孤独なんだろう。せめて、称賛が彼にあれば、彼はきっと救われたはずだ。劇中の救いは、ジョーンクラークだ。彼女は孤独だった彼に癒しを与えてくれる存在だったのだと思う。だけど、チューリングはやむなく彼女を手放した。彼女に配慮しての行動だ。彼は不器用すぎた。嫌われるように仕向けた。彼女が頑固で芯のある女性だと知っていたからだ。同性愛者であることを打ち明ければ嫌ってくれると思ったが、それでもいいというので、うんと嫌われる一言をいった。自分が嫌われることを受け入れるくらい、それくらい、彼にとって彼女は大事な存在だったのだ。きっと彼女がその意味を理解したのは、ずっと後になってからだろう。ラストシーンで、彼女がチューリングにかけた言葉、この街を救ったのはあなた。あなたが普通じゃなかったから救われた命がたくさんある。という言葉は、彼にとって大きな励ましとなったことだろう。きっとこの映画を作った人も、きっと称賛したかったのだ。彼の功績を。彼の功績が長い間讃えられなかったことに怒っていたに違いない。不当だ、可哀想だと思ったに違いない。だからこの映画を作ったんだと思う。
 この映画には重要な教訓があると思う。それは、本当に最適なルートは、結果がでるまでに時間がかかるように見えるということだ。たとえその道が最短ルートであったとしても、最適解であったとしても、道中は本当にそれが正しいのかわからない。僕たち凡人がその道の正しさを理解するのはいつも答えが出てからだ。答えが出てから、それが正しかったというのは簡単だ。その道中にいるときに芯を曲げずに進むことは困難だ。その困難をやってのけたのがイミテーションゲームにおけるエニグマの解読。マシーンの開発にはとても時間がかかった。結果が出るまでに年単位で時間を消費した。周囲の反発的な反応を否定できるだろうか。きっとその渦中にいたのなら、僕も周囲の人間と同じように、チューリングはおかしいと陰口を叩いて、せっせと人力でやっていたと思う。やっぱりいつの時代も革新的なことをやっている人の動きは理解されないのだろう。なぜなら、革新とは常識と大きくかけ離れているから。常識はずれという言葉があるように、みんなと違う行動は馬鹿にされる。排除される。だけど、いつだって時代を動かしてきたリーダーは常識はずれを行なってきた。当然反発される。その反発を押しのけてきた。イミテーションゲームではそのプロセスがつぶさに見える。そして、その反撃は、まったくもって痛快にうつらないという悲劇がそこにはあった。ほれみたことか、とはならない。称賛してくれる人は身内だけ。身内も限られたごく一部の人間だけだ。
 イミテーションゲームを見ていると、アランチューリングの寂しさを埋めてあげたくなる。彼の孤独をぬぐってあげたくなる。そして、彼の抱える孤独や寂しさを見ていると、人間にとって孤独を拭うこと、寂しさを埋めることがどんなに尊いことかわかる。誰しもが大なり小なり寂しさや傷を抱えて生きていると思う。それを癒すことはどんなに尊いことなんだろうなって思うんです。誰かと笑い合ったり、何かに夢中になったり、手を握ったり。そういうことは本当に尊いことだなって。なにかに詳しくなって賢くなること、誰かとの競争に勝つことも楽しいよ。だけど、寂しさを埋める。温める。それは今を生きる僕たちにとって、とてつもなく大切で、かけがえのない尊いことだなって思うんです。僕も誰かをあたためられるのかな。寂しさを埋められるのかな。そんなふうに生きれたらいいなって、映画を見ながら思いました。

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