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会社員としての自分という認識はまずい

あなたは何をされている方ですか?
そう言われたときに「会社員」です、と答えます。

至って普通のことですよね。多くの人がこれは他人から質問されたシチュエーションだと考え、別になんとも思わないと思います。

では、自分で自分に問いかける場合はどうでしょうか。

自分で自分に「あなたは何をされている方ですか?」と問いかけてみます。

僕はこの場合の回答が「会社員です。」となることに大きな違和感を感じました。

そもそも労働市場という視点で自分と会社の関係を見ると、そこには労働契約が存在しているわけです。労働契約上、立場は基本的に対等であるはず。
りんごを買う人とりんごを売る人に上下関係がないのと同じことです。
自分の労働力を売る代わりに、その対価としてお給料をいただくという契約を交わしている関係なのです。

このとき、そもそも「会社員としての自分」という表現を自分で飲み込んでしまっているのはおかしいと思ったのです。
なぜかというと、主従関係が発生しているからです。つまり対等ではない。会社が主人で自分はその主人に仕えている関係となります。
外向きにいう表現としては何も問題ないと思いますが、自分で自分をそのように認識してしまうと、自分のアイデンティティを会社に置いていることになります。

わかりやすく言えば、自分の名前で勝負していないということ。つまり、自分という存在を肩書きや周辺情報で固めようとする態度で生きているということになると思ったということです。
これは態度の話なのでもちろん生き方にそのまま反映されます。

例えば仕事をしているときにもその影響はありました。よく「指示待ち人間」という言葉を聞ききますが、まさにその指示待ちの人と同じスタンスである自分に気づくことができました。

要するに、自分で考えて動いていない。
対照的な態度は主体的です。「自分が所属する会社の社長として動くこと」ができれば理想的ですね。

だから、指示待ちとは極めて受動的な態度だと思います。極論、給料泥棒のスタンスとベースは同じなのです。考えたらわかることで成果を出せない。そこで他の人と差をつけられる。

だから、違和感と同時に危機感を覚えたわけです。

以上を踏まえて、僕は「何をされている方ですか?」と聞かれたら「会社で自分のスキルを売っていたり、時には文章などのコンテンツを作っています」と言うふうに答えられるスタンスで生きるようにしています。


今日も良い1日にします。


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