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時間は自分でつくるもの
通勤のときにnoteを書くことを習慣にしていたのに、昨日は書くことができなかった。
というより、書くことがあたまに思い浮かばずに断念した。
さて、こういった時の打開策をまず考えると、そもそも書くテーマにつながるような、例えば読書をする時間を取れていなかったことも要因していたりする。
いつも、何かを学んでいるときに付随して、その感想や類似テーマについて頭に引っかかっていることをnoteに言語化するイメージでいつも書いている。
今回の件はあわせて時間について考えるきっかけとなった。
というのも、ここ最近、日に日に忙しくなっている実感があり、忙しさに忙殺されてくると今までのバランスを保つことが難しくなってくる。
そうすると、自分がやろうと思っていた何かに割く時間がどんどん少なくなっていく。
なぜなら、優先順位が要因するからだ。
期限が決まっているものやタスクが増えるほど、それらは優先順位が高いことが多いのでそれらに時間を回さなくちゃいけない。さらには処理スピードが遅いほど自分の時間というものはなくなってくる。
だから仕事に慣れていかないといけない。
逆説的だが、こういう時こそあえて自分のキャパを広げにいく目的で仕事をもらいにいくことが長い目で見ると投資になる。
しかし、休みを削ってまでやることでもない。休む時は休まないとそういった動き方もできなくなる。
だから、僕は休みは意地でもつくるし、そもそも忙しさに譲ることはせず、自分の休みをつくろうとする姿勢があるのだ。
じゃあ、同じく自分のやりたいことのために、この時間をつくる姿勢が今回あったのか、というところが大事な論点になると思った。
忙しさを理由にしている時点で自分は他責思考になっていることに気づく。
自分の時間がないと言及したものの、結論、仕事や環境の責任にして自分は悪くないっていっているのと同じだと思った。
その気づきを今回は書き留めておこうと思ったのだ。
時間は自分でつくるもの。他人にコントロールされちゃいけないのだ。他人にコントロールされている場合は、それは受け身で生きている証拠なのだ。
今日も最高の1日にします。
2024/04/09