心理戦の向こう側
病院に行けば体のあらゆる部位の検査が事細かくできる。
最新医療によってその精度は凄まじく、体内の状況もわかるんだから医療の発展は人が生きてこれた要因の一つだと思う。
ただ、検査によっては少々耐え抜く必要があるものもある。
内視鏡検査:カメラ挿入の苦痛がある
CT/MRI:音や狭い空間のストレスがある
採血:刺されていたい、血が見えて怖い
多数のコードを繋いで検査したり、皮膚精検みたいなものもあったり、調べたいけどその苦痛があるので億劫になっている人も少なからずいるかもしれない。
治療の前の検査すら乗り越えられないとどうしようもないわけで、
優しい声掛けなどの応援がひと踏ん張りになる。
病院で八百屋みたいな威勢のいい掛け声がないのは、体に伝わるエネルギーが違うんだろう。
逆に、比較的容易に検査が済むものも多数ある。
レントゲン
血圧測定
心電図
こういうのは声掛けの応援なくても大概突破できる。
そんな容易検査の代表格視力検査。
自分と検査員との勝負でもある視力検査は他の検査に比べてかなり適当感が否めない。
見えているのか、見えていないのか分からぬまま過ぎていく検査。
なんなら適当に言い続けても何とかなっちゃう検査。
視力より真実を言える性格を見抜かれているんじゃないかと思う検査かもしれない。
運転免許の取得・更新時はこの視力検査が行われるわけだが、
この「真実を言える性格」を見抜かれぬよう、見えないものは正直に
「わからない」と答えた。
そこで検査員が発した言葉は想像していないものであった。
がんばれ
色々考えましたよね。
真面目に答えろという事なのか。
すぐ諦めずに考えろという事なのか。
考えたって見えないものは見えないわけで。
これほど「がんばれ」が心を素通りした瞬間はなかった。
言う状況はとても大切なんだなと、免許更新のついでに学べたことは良かったかもしれない。
ありがとう検査員、なんとなく頑張ります。