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オガハウス

目指せスーパースター。蕎麦宗です。

ファッションというものが脚光を浴びたのはいつの時代も景気の良い時で、大正モボモガ、昭和アメカジ、バブル肩パッド…などなど、不可分所得に余裕ができてこそのことだろう。昔は今(2020年)のように洋服は溢れ返ってはおらず、ひところまでの子供服に至っては着の身着のまま、自分が小学生の頃(1980年代)だって毎日洗濯に出す余裕はなく、同じ服を何日も来ている人は伊豆田舎には沢山いた。

そんな時代であれどんな世代であっても、基本的にオシャレに目覚めるのは若い頃で、それは自意識の芽生えとともに《恋》が人生の主題になるからだ。誰だってモテたいし、好きな相手に振り向いて貰おうと一生懸命になる季節。つまりファッションとはズバリ《孔雀の羽》である。

僕もご多分に漏れず、20歳過ぎた頃から洋服に興味を持った。そして、社会人になってそれは加速し、今思えば一体いくら使ったのだろうと思うくらい。でも生来の貧乏性なのか使い捨てというのができないので、洋服であっても《一生物を》みたいなことを考えて購入していた。現実的にはあり得ないのだが、その趣向に耐えられうるものとなるとトラッドに落ち着く。なので革靴やスーツ・ジャケットを歳不相応に選んだ。今にして思えばオヤジ臭いファッションではあるが、《大人の男》に憧れていたからだろう。

そんな感じの洋服を売っているお店となると、地方都市ではなかなか限られてくる。社会人当初4年間は浜松や磐田などに住んでいたこともあり、静岡県中・西部のあちこちに【ルノートゥウィンゴ】を飛ばして街へ繰り出し、お店を見つけては回っていた。

その一つが静岡の駿府城にほど近いところにある【オガハウス】である。

レディースファッションとは異なりメンズのセレクトショップとなると東京を除いては選択肢は極端に少なくなる。ましてやトラッドとなると必然的に高級路線となるとため、さらに数は限られる中、僕は磐田の《reunion》と静岡の《セビルロウ》と【オガハウス】によく足を運んだ。

オガハウスに最初に足を運んだのは24歳の時。静岡県サッカー1部リーグの試合の帰り。普段、通勤こそ格好つけて毎日スーツで行っていたし(大学の同級生からしたら毎日バレー部のスウェット姿しか見ていないから、今頃腹を抱えて笑っているかもしれない)、ジャージで通勤なんて絶対しないを信条にしていた。が、そんな体育教師は1人もおらず、上司の年配の先生方からは白い目で見られていた。最後に世話になった松下校長先生(つづくと言って書いていない沒蹤跡【もっしょうせき】の話の方です)だけは褒めてくださり、

『40年間の教員生活で朝の職員会議にスーツを着ていた体育教員は君だけだ』

と褒めて下さったが、それほど変わっているとも言える。

その日はアディダスのセットアップだった。さすがに県リーグの試合に背広で行くことはなく、普段なら着替えを持って行くのだが、訳あってジャージの一張羅だった。それでもどうしても店内を見たい衝動にかられ、如何にも一元さんは入ってくれるなと言わんばかりのあの重いドアを開け、恐れ多くもジャージ姿の小僧が入って行くと、店主のオヤジさんがジロリとこちらを向いた。

『こんな格好ですいません。クルマで通りがかりに見つけてショーウィンドウ越しに服を眺めたら、どうしても気になったので入りました』

チョットいかつい浅黒い顏のおっかないオッサンは、そんな自分をいぶかしげに眺めながらも決して邪険にすることなく

『好きなだけ見てけ』

と言ってくれた。しかし、チョイと見て回るとイタリアントラッド中のトラッドの品々がズラリ。さすがに格式高いのにビビって

『また出直します』

と言って日を改めて、今度はしっかりとスーツにタイをして出向いた。

『お〜、お前か』

って覚えてくれていたことは嬉しかったのだが、それは確かにあの店にジャージで入る根性のヤツも20代前半の小僧もいないであろうことは、後々オガハウスの常連だという多くの医師や会社経営者のご紳士方から聞くこととになる。それほどの名店だった。何せ頑固オヤジで仏頂面で愛想笑いなど決してしないために、追い出された客も何人もいるなどという都市伝説めいた話もあるくらいだ。

今一度、靴やスーツなどを眺めているとオッサンから質問が来た。

『そこに並んでいるスーツの中から一番高いの選べ、値札は見ずに』

えっ、マジ。いきなり飛んで来た入店試験みたいな問いかけに、僕は感性のモードを真剣に替えて、ズラリと何十着と並ぶスーツに触れ、目を通し、悩み込んだ。

…モノを選ぶときは先入観を取り除く、つまり情報を遮断することが定石だと思う。人間の持つ根源的な感覚と己の感性を武器にして、視覚と指先の触覚と嗅覚を研ぎ澄ませ、『考える』のではなく『感じ取る』というのが捉え方として正しい。

最後に迷った二つのうちの一つ、ベージュとマスタードの中間の複雑なチェックのそれを選び、

『コレ』

とジャケットのハンガーに手を掛けて、オガハウスのオヤジさんの方に顔を向けた。オヤジさんはほんの少しだけアゴを突き出して答えた。一瞬口角が緩んだのが分かった。

『合ってるよ、値札見てみろ』

手に取ったジャケットを掴み、胸元のタグをめくる。

『45万円…』

『羽織ってみろ、サイズ大丈夫だ、着られるだろっ』

軽やかで柔らかで暖かで、なんとも言えぬ着心地だった。もちろん初めての体験だ。

オヤジさんはニヒルに、でも嬉しそうに説明してくれた。

『本当にいいものは誰が見てもいいものだって分かるからその値段がつくんだ。でも、そういうものは無理して買う必要はない。その値段じゃなくても良いものは沢山ある。欲しいと思ったものを買えば良い』

それからも時折オガハウスへ足を運んだ。試されたのかどうかは本当に定かでない。でも、その一件があって以降、随分と可愛がってもらえた気がする。時折出会う常連さんたちは、明らかに自分とは異なるハイクラスの歳を重ねた方々だった。ジャージで来たようなこんな小僧はおらず、県教育職の公務員の初任給じゃとても買えないものばかりだったが、どうしても欲しいものは手に入れた。

あの頃オガハウスで買った靴を今も大切に履いている。イタリアのサントーニという小さな工房のもので当時3万円以上したスニーカーだ。プラダやグッチなどにOEM提供しているらしく、バッジが変わると20万円以上すると聞いたときに、

『くだらないからそんなものに金出すな』

と、オヤジさんはちょっと怒り口調で話していた。

時々彼女(のちの妻)も連れて行って、レディース物の靴、バッグ、スウェーターなども買ってあげた。オヤジさんは嬉しそうだった。出向くその度に色々とファッションの事や生き方を教わった。流行りに流されず、ホンモノを見極め、伝統(トラディショナル)として続いている意味を考え、季節や暦ではなく自分の肌感覚を信じる…。

買い物を終え

『オッサンまた来るよ』

って言うというと

『死んでるかも知れないから、店あるかも分からないけどな』

が口癖だった。

あれから24年(2020現在)が過ぎ、少し前に静岡へ行ってみた。残念ながらもう【オガハウス】はなかった。

お元気ならば80歳位だろうか。久しぶりに会って話してみたいものだ。残念ながら45万円のジャケットは今も買えない。でも、

『オッサン僕も大人になりましたよ』

って。

さて、【レディースKIMURA】の記事でも書いたとおり、僕が買い物で購入したものはモノではなく、その店主・店員の生き方全てだ。それを無駄に高いと思うのか、付加価値として捉えるのかは人それぞれで正解はない。

ただ、今こうして自分が店を経営していて思う。僕が提供しているものは《食べモノ》だけではない。

『蕎麦宗という全てが商品だ』

という誇りである。終

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サントーニのスニーカー

https://note.com/sobaso/n/n96ed07a7390c

#商売とは #感性を研ぎ澄まし #ファッションと景気 #お店との付き合い方  


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山川宗一郎
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